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2016年3月20日 (日)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2016年3月18日前半 ワールドメイトブログ

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。


2016年3月18日放送分、今回のテーマは「さくら」。前半部分を書き取りました。


こんばんは、「晩婚は」の皆さん。深見東州でございます。毎週金曜日のこの時間は30分という鼻の下の長い時間ですが(笑)、30分という短い時間ですが、私とあなたをつなぎながらお話ししましょうね。

今週のテーマは「さくら」です。春を感じる最大のツールといおうか、季節商品の代表、さくらの花が何で私たちに愛されるのか。さくらについて寅さんから合格電報まで、今夜はさくらの話をいたしましょう。

ちなみに今日は私の誕生日です。Happy Birthday to me という。私の誕生日が終る時間までおつき合いくださいね(笑)。

Happy Birthday to me~♪ Happy Birthday to me~♪ Happy Birthday, dear Toshu~♪ Happy Birthday to me~~~♪

「お見事です、恐れ入りました」(東海林さん)

(CM)

誕生日というと、ハッピーバースデートゥーユーというんですけど、

「ハッピーバースデートゥーユー」(東海林さん)

おつゆじゃないんだから、自分で歌うもんだからHappy Birthday to meとなって。

さくらというとね、桜前線。日本列島を北上し始めましたとかね。5月に北海道に進むまで、桜前線の話題が、ニュースや天気予報のコーナーで。

パッと咲いて、パッと散るから潔い象徴と。受験合格はサクラサクとか、不合格はサクラチルとか、日本とさくらの関係は特殊な関係があると、さくらが日本の精神の花となったのは大正以降のことだと、って書いてある。

もちろん構成作家が書いているんですよ(笑)。万葉集では梅の花が118首、さくらが44首だって。平安時代からはさくらの人気が高まり、花というとさくらを表わすようになったと。

嵯峨天皇が開いたという記録もありますがね、花見は。豊臣秀吉が700本のさくらを植えてね、有名な醍醐(だいご)の花見ですよ。

100円玉はさくらのマークで、うば桜という言葉はね、花が咲いているときに葉がないからですね、ハがないということでうば桜と。年配でもなまめかしい女性を指していった言葉だというんですよ。さくらの日が3月27日、さくら咲くだからさ、3×9(サク)=27(笑)。

まあ、そんなようなことばっかり書いて、これが構成作家がいうね、こんなことばっかりですよさくらというのは、しかし、文学者の私にとっては、耐えられないような浅い解釈で(笑)、また東海林さんの浅はか見付と、浅香光代。

浅香光代さんとは親しくして、いい人ですけどね。浅香光代さん今もお元気で。よく正月公演をみんなで見に行ってたんですけど。

さくらといったらね、何を思い浮かべるかといったら、梅とさくらっていうのは、梅は天神菅原道真公でですね、梅は神道の花なんです。さくらは仏教の花で、役行者(えんのぎょうじゃ)、役小角(えんのおづね)さんが、加茂氏、葛城山の中に夜な夜な11歳ぐらいのときから、山に入って天啓を受けていたという。

それが大阪の勝尾寺(?)というところで、紅葉の天ぷらで有名なところですけどね、滝に打たれている時に、密教を開いた創始者の龍猛というのが来てね、直接密教の極意を教わったのが役行者さん。これが日本の修験道の始まりです。

役行者さんが吉野で修業をしたときに、大峯山、そこに吉野のさくらを植えたんですよ。そして、大島に島流しされたときもさくらを植えた。役行者の行くところみんなさくらを植えるわけですよ。

さくらは仏教の花なんです。パッと咲いて、パッと散っていくというのは人間の境地、心を表わすから、さくらというのはそうなるんで。だから、護摩を焚くときの護摩木っていうのはさくらの木なんですね(ホー)。さくらの木で仏様を彫ったりする。さくらの木の精っていうのはそういう意味があるわけです。

ということでさくらは、温かくなってパッと咲いて、パッと散っていく、人間の心を表わすわけで、それに対して梅っていうのは一番冬の寒い時に、芽を出しますでしょう。だから、梅というのは天神菅原道真公がこよなく梅を愛したというのは、梅は神の智恵。

神の智恵っていうのは、非常に現実界の厳しい冬のさなかに花を咲かせるから、社会の現実で厳しい体験をしたときにつかみ取った智恵というのが、これが神の智恵。

さくらは仏様の境地、梅は現実界で苦労してつかみ取った神の叡智っていう。だから、大本教の開祖の出口なおは「三千世界一度に開く梅の花」っていう。

梅の花っていうのは神の教えの象徴なんですね。艱難辛苦を経てつかみ取った悟りの叡智。これは現実界というものと、神の世界の両方。真ん中の心の世界が仏教なんですね。これが梅とさくらの関係。

だから、菅原道真公というのは神仙のシャーマンだったんで、あれだけの頭脳のがっさいを越えた本朝神仙録(ほんちょうしんせんろく)という、大江匡房(おおえまさふさ)が書かれた。

菅原道真公というのは神仙の世界に生きた、いわば仙人みたいな人だったので、だからこそあれだけの天神様になった。人間の知恵を超えた智恵を持っていた。

梅を愛していたのは、梅は神の教え。だから、冬の一番寒いときに清らかに咲く。さくらは役小角さんが吉野に植えたのでそれが吉野の始まりで、行く先々にさくらを植えたと。だから護摩木も全部さくらでやっている。これは、仏様のパッと開く境地、悟りの境地。刻々に変わっていきますから。これがさくらなんだと。これが梅とさくらの関係なんですね。

だから、天神菅原道真公の影響を受けている人たちは、梅というのはそういう風な、梅の歌はそういう気持ちで梅を辛苦と冬の中に咲く。

さくらは本当にきれい。南北朝になってくると後醍醐天皇が吉野のところに開くんですけど、それは修験道とともに行くところにさくらがいつも植えられるわけですよ。

そういう影響で平安時代の時には密教が栄えてきたんで、さくらの方の花がだんだんと栄えてきたし、さくらの木が護摩木に使われるようになったというのは、こういう文化的、宗教的、山岳宗教的な背景があって梅とさくらの関係がずっときているわけですよ。

これを文学でいうとどうなるかですね、まさにさくらというのはですね、僕の短歌の先生、岡野弘彦先生、昭和天皇の短歌の先生というのは折口信夫っていうのの弟子でね、住み込みだった。

折口信夫先生は神道学者であり、国学者であり、歌人であり、そういう頭脳を持っていた人ですよ。歌人としては釈迢空(しゃく ちょうくう)というのがペンネームです。

その釈迢空の弟子で、住み込みでおったわけです。で、岡野弘彦先生がさくらが咲いたときに、折口先生すなわち釈迢空と一緒に居たら、いいお天気で満開だったんで、「折口先生、満開のさくらで真っ青な、雲一つない青空にね、ほんとうにきれいですね、このコントラストが」っていったら、折口先生が「ばかな、お前絵はがきみたいなこというな」といって叱られたというんですよ。

歌人、歌を志す人間が雲一つない青空の青にさくらが満開でパッと咲いてきれいですねなんていう言葉は、絵はがきみたいな言葉なんだと。さくらというものに対する古代の人たちっていうのは、さくらの木の妖精っていうのはたしか、能だったらタツかな、さくらの木の妖精となってでてきたり、

あるいは坂口安吾のね、恐い恐い物語のお姫様、さくらがワーッと散っていくときに恐ろしさを感じると、さくらがブワーッと散っていくときに人間の死とか冷厳なる恐ろしさを感じるという、さくらの花が散るのを見て恐ろしいと感じる。

西行法師が、我さくらのもとにわれ死なめという、自分が死ぬんだったらさくらの木のもとで死にたいと、さくらの木のもとに埋めて欲しいっていうのは、さくらを愛でている、西行が出家することになったその時の美人の誉れの高い、北面の武士だったときに警護しておったその親王があまりにも素敵だったために恋心を持っていたのが、亡くなっちゃったんで出家したと、いうふうにいわれているわけで、

それがさくらの象徴みたいな人だから、その恋心を託してさくらのもとで我しなめといった西行が。

だから西行法師のさくらのもとで死にたいという思いというのが恋心になると同時に、坂口安吾の後に化け物みたいな女が行くという、坂口安吾のさくらのねえ、恐ろしい生命力という。

それから、俳句は僕の先生の金子兜太(かねことうた)先生の、さくらというのは、満開のさくらの梅とさくらの時に青鮫が来ていると、青鮫のような、魚ですよ、青鮫のような生命力のある恐いものが梅の花とかさくらの咲いているところに、花の生命力を感じると。

そういう風なのが俳人とか、歌人が感じるさくらに対する思いなんであって。

こういうようなことが、全然放送作家の中では、こんなのが書かれていない。だから、嵯峨天皇なんていうのもおそらく歌人だったらば、いったいこの花を見て、どう読むんだろうか、このさくらを。

あまりにも多くの人たちが何千年という間、読み続けたこのさくらを、お前はどう読むんだ、お前はどう感じるんだ。坂口安吾みたいに恐ろしい化け物の姫のようなことをきくのか。

まあ、そういうようなことでですね。花というものに対するとらえ方が、その人の詩心や自然に対する感性っていうものを試されるという意味で、恐いドキッとするような言葉なんですよね、私にとってはね。


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