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2016年3月15日 (火)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2016年3月11日 ワールドメイトブログ

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。

2016年3月11日放送分、テーマは「記憶」。今回は、前半、後半なく話が続きましたので一回分全てを書き取りました。


こんばんは、晩婚のみなさんお元気ですか、深見東州です。毎週金曜のこの時間に30分という短いような長いような複雑な時間ですけども、私とあなたをつなぎながらお話ししましょうね。今週のテーマは「記憶」です。

人間は、何でも覚えていたら生きてはいけないんで、適度に忘れるからいいんだと。それにしても忘れすぎだという人も多いんですけどね(笑)。

忘れなきゃいけないことがなかなか忘れられなくて、忘れちゃいかんことを忘れるといういのが人間のことで。そんな記憶っていうのは本当に、脳みその中の海馬、海の馬なんて書いて、海に馬なんているんかいと思うんですけど、脳みそにはあるみたいですね。そんな記憶の話をしたいと思います。
今日という日が終るまでおつき合いください。

(CM)

東日本大震災から5年をむかえましたけど、どうも地震もそうですけど、津波のほうがね、強烈なインパクトで、あのときの恐怖とか、津波の恐ろしさっていうのは、本当にみな想像もできないような恐ろしい記憶がね。どんな人にも残っていると思うんですけど。

実は、東日本大震災、津波っていうのは、僕は直接行けなかったんですけども、今でも覚えている、四倉という所にね、自衛隊も来ない所に、僕らが運んでいったんですね。

で、また買い込んで、また行って、何度もピストン運転して、食べ物があったら今度はガソリンだということで、四倉という所に行ったんですね。

そしたら、震災があって3週間たって、初めて来た物資だというんですよ、我々が。特に買い物に行こうと思ってもガソリンがないものだから行けないということで、ガソリンを車に注入してあげたら喜んで、「これで自分で行ける」。

避難物資を運ぶ人が、放射能のアレが高いから来ないということでさ。

ということで、「ゴジラ隊」という隊を結成しました。ゴジラっていうのは放射能を吸収して強くなっていくわけですからね。君たちも放射能を吸収してゴジラのように強くなれということで、「わかりました」ということでうちのスタッフが。

イギリスから大学のガイガーカウンターを借りてきて、しばらく借りっぱなしでしたけどね。何ヶ月か経って返しましたけど。

ガイガーカウンターの数値が高すぎるところは行くなということで、放射能を感知しながら行きましたね。だから、一応水にあたって、シャワー浴びて、お風呂に入ったら大丈夫なんだけど、何日間かそこに滞在すると危険ですね。

放射能のレベルが一番高いときにも行きましたから。トラックで何往復もして必要なところに行ったら、初めて来た救援物資ですというところが、いくつもありましたよ。

だから、テレビとかなにかでやっているのはいいんだけど、実際は、官公庁だけじゃなくて民間のこういうようなものと、両方ないと小回りがきかない。

で、官公庁のは一番必要なものがあって、要するに細やかさがないんですよ。必要なものは刻々と変わっている。刻々と変わっている必要なものが欲しいんだけども、そういうのはなかなか官公庁というのは届けないんで、民間が柔軟にやることによって官民が協力態勢できるっていうことを、阪神大震災で学びました。

最初に東京から阪神に行った、関東から来た救援物資のトラックは、私がチャーターしたトラックですよ。僕も2週間そこにおって、だから今でもその光景残っていますね。

ここで、記憶に関して私がいいたいことは、アドラー心理学でよくいうのは、全ての悩みは対人関係で、いろいろトラウマというんだけど、それをどう捉えるか。

それが素晴らしい体験として今に生きているんだと、無理矢理にでも思うとですね、トラウマというのはないし、あっても消えるんだと。

だから自分にとってトラウマになっているんだけどトラとかウマが自分に住んでるというのは、その時の見たり聞いたりしたものをどう自分で捉えて、どう自分で位置づけするかっていうことを、自分でしっかり向き合うとですね、トラウマも消えるし、トラウマにならないわけなんだね。

そういうようなことを全ての人にいうのは難しいかもしれないんだけども、トラウマ、トラウマというふうに思っている人は、トラウマって実はないんだ。その時の体験が自分にとってどうなのかをプラスのほうに受け取るように自分で自分にいってきかせると、若干フラッシュバックがあってもだんだん消えてプラスなものとしていくと。まあ自分にとってですよ。

戦争よりは災害のほうが、自然のことだから恨めないですわなあ。運命を恨んでもねえ。記憶というのもそういうもんですね。

僕の場合は、母親が亡くなったときがもう、本当に大学2年生までマザコンでしたから、何よりも大事な母親が亡くなったときに、いっぱい俳句を書いてね、それで納得しましたね。

作品に書きあらわすと、いまでもズキンとくるような俳句だけども。作品に残すと、そっちに悲しみが行っちゃうんで、自分自身にとって救いになたという、ね。

自衛隊とか、官公庁だけじゃなくて、いかなる時にも民間の活動というのは、現場にあった柔軟な対応ができる。今ほしいものを何とか届けてあげるという民間のよさと、自衛隊、官公庁の両方いるっていうことが。

いろいろ災害あるたびに必ずやってます。人間としていかなる時にもやらねばいかんことだと思っていますね。

ここで、メールを紹介いたしましょう。

ペンネーム:ティンパン
30歳、男性、会社員。
-------------------
こんばんは、東州さん。
ある人がいいました。
喜びと悲しみは誰にも公平にやってくる。
幸せと不幸も公平にやってくる。
ずうっと楽しいことばかりで生きていると、その楽しさが当たり前になるから、辛いことを与える。
その辛いことを越えた先に楽しみがある。
お金がいっぱいあっても幸福ではない。
東州さん、人生はこんなふうに平等なんですか。
私は何か、今は不幸のシーソーのほうに傾いているとしか思えませんが。
------------------

これねえ、占いとか、ホロスコープとか、四柱推命とか、奇門遁甲学、干支学とかいろんな代表的な占いがありますよ。

それで、幸運期と衰運期があってね、幸運と衰運が両方やってくるというんですけどね、これは表面的な見方でね、もっと深く見るとですね。

幸運期というのは、努力してやってきたことが報いられていくと、衰運期というのは、思うようにやってもなかなかうまくいかないときは、自分自身の中身を耕すと。

だから、幸運期も衰運期も両方進歩向上していると。それが、内的に進歩し実力を養うときか、あるいはそれが社会的に表現できて花が咲くかと。

衰運期の時こそ、自分の中身をしっかり磨いて実力、能力を養えと。そして幸運期になってきたら、必ず世の中に開花するときだから努力したことが報われるんだと。

でもまた衰運期がやってくるというのは、そうではなくて、また次の勉強、次の内的向上があって、またその次の幸運期の時に花開いていくというね。

吸入、圧縮、爆発、排気と4サイクルエンジンのようなかたちで、それで吸収して、学んで、次に爆発、排気。また吸入、圧縮、爆発、排気というので、エンジンが進んでいくみたいに。

幸運期も衰運期も進歩向上している陽の部分と陰の部分だと考えるのが一番積極的な考え方なんで、あんまり自分が衰運期衰運期なんていうのは、落ち込んで何もできなくなっちゃうからね。

例えば、気学なんかでも自分の本命というのが北へ上がっている時というのは、子の刻、夜の11時から1時のときにいると。そういうときは、さあ皆さんやりましょうといっても皆寝てると。

丑の刻と寅の刻、1時から3時、3時から5時、5時が卯の刻になるんで、3時から4時の時に、さあ皆さん頑張りましょうって電話かけても、みんな寝てるって(笑)。

寝てるときに頑張っても皆揃わないと。5時くらいから卯の刻になって、徐々に日の出になって朝になってきたら動き始めていくんで。

みんなが動き始めてるその時に呼びかけたら、「よし」と人が来ると。そういう時間帯が幸運期なんだと。

衰運期というのは自分の学ぶときだから、ぐっすり寝て英気養わなきゃならないときに呼びかけても皆寝てるから、そんな時に呼びかけても迷惑なことだから、その時はぐっすり寝て自分で勉強して。みんなが起きてきた時間帯に、「おーい、起きろ」といえばいい。
そういうふうに、みんなが起きて頑張ろうというときが幸運期、そうじゃないときは衰運期。幸、不幸もそういうことですよ。

だから、自分が運がいいだとか、悪いだとか考えない。これいかにも平凡な普通な考え方で、そうではなく、幸運期も衰運期も両方幸運期と。

運のいいときも悪いときも、両方進歩向上している。陰の部分と陽の部分が違うんだと。ということだから、陰の部分の時はあせらずに自分をしっかり見つめて、能力、実力を磨きましょう。

その実力相応に運が良くなったときは、社会的に開花する。また花が開いたら散っていくんで、また勉強していってまた行くという。こうやってレベルがどんどんどんどん上がっていくと考えるべきなんで。

それが、平べったいこの世的な目で、いま運の悪い時期とか、いま運がいいんだとか、あたかも宇宙から突然やって来たような、悪いほうの宇宙人といいほうの宇宙人に支配されているみたいな。そういう考え方っていうのは底が浅いよね。これが一つ。

もう一つですね、喜怒哀楽のことなんですけどね。幸か不幸か、構成作家がね、嬉しさは、悲しさを知っているから嬉しいとか(笑)、喜怒哀楽という四つの心とか、中国の中庸に出てくる四つの心。山登りが辛いけども山頂に到達したときに達成感がいいとか。こういうふうにいうわけですよ(笑)。

本当に普通の構成作家のいう普通のことです。私は普通じゃない快速ですからね(笑)。時々鈍行で各駅で行くか、まあだいたい快速です(笑)。普通じゃないんで。

どういうふうにいくかというとね。喜怒哀楽というのはね、あるのが普通なんですよ。嬉しいときに嬉しい、悲しいときに悲しい、寂しいときに寂しいというような人間というのは。

神様だって、仏様だって、エンゼルだって、菩薩でもね、喜怒哀楽ありますよ。ただ、神様や仏様や龍神さんだって怒ったり喜んだりするんで。

ところがね、人間と神仏とか龍神さんの違いはどこなのかというとね、「鏡の心」というわけですよ。

「鏡の心」というのは要するに、いつまでも喜んでない、いつまでも悲しんでない、尾を引かないっていうことなんです。

ニコニコ笑っている顔で鏡の前に行くとニコニコ笑っていると。怒った顔で行くと怒っている。嬉しいときは嬉しいんだけど、その鏡の前を過ぎると元の鏡になるでしょ。

神様も仏様も龍神も菩薩も天使もどんな人もですね、嬉しいときは嬉しい、悲しいときは悲しい、怒るときは怒るんです。ただし、優れた人というのは、いつまでも怒ってない、いつまでも悲しんでない、いつまでも喜んでない。

パッと切り替えて、また人が映ってないキラキラ輝く鏡のような状態になって、太陽を映して光っているわけだ。人が来たらその顔が映る、通り過ぎたらもとの鏡になる。

そうやって、いつまでも尾を引かずに、心というものを切り替えてですね、その時々の心は映るけど、いつまでも映らない。これが達人です。優れた人間というのはそういうことで、尾を引かないですね。

呉清源(ごせいげん)さんという囲碁の名人が。僕も2、3回お会いしました。今から40年ぐらい前かな。その呉清源さんが、囲碁の名人と普通の人とどう違うのかと。

というのは、普通の人がミスをした。「あ、しまった」とそこから崩れ始めると。

囲碁の名人も必ずミスをするんですって、必ず一回は。ところが、そこから崩れないで、パッと切り替えて、何事もなかったかのように次の手を冷静に打っていくと。これが囲碁の名人だと。

だから、囲碁の名人も普通の人も必ず打ちミスはするんだと、そこでしまったと思って、崩れていくか、ミスしたときにパッと切り替えて、次の手から普通に冷静に打っていく、これが名人だと。そういうふうに呉清源さんがいっていた。

だから鏡の心ですよ。ミスもするし、しまったと思うんだけど、パッと切り替えて、また普段の鏡の如く、明鏡止水の如くっていうね。

これは、勝海舟の「氷川清和」の中でね、僕も「氷川清和」何回か読んだけど、その文章しか印象にのこってない。

私はいまだかつて外交交渉に失敗したことがない、それは何かというと、必ず明鏡止水の気持ちで会うからだと。水とどまるごとく、水がピタッと止まって鏡の如くなっていく気持ちで会うんですって。

こういうふうにいったときはこうしようと、あらかじめ考えるんじゃなく、一応基本的なものの考え方はあるんだけども、それは相手しだいなんで。

なにも考えない明鏡止水の気持ちで会うと、そうすると相手がいうことに柔軟に対応できる。これはずうっと残っていますな、「氷川清和」。

だから、人と会うとき、何かあったときは明鏡止水。鏡の如く。相手が喜んだときは喜んで、パッと切り替えて、悲しんだら、大変でしたねえといいながら、刻々に移って。

禅の言葉で、「迎えず、送らず」。

まだ起きもしないようなことを心で迎えて心配するな。過ぎ去ってしまったことを、ああすれば良かったこうすれば良かったと、心を送るな。

じゃあどうしたらいいんだと。

目の前の只今、刻々の只今を見ていく。これが禅の教えです。「即今目前聴法底(そっこんもくぜんちょうほうてい)」という臨済録にある臨済の言葉でね。即今、ワシの法を聴く、目前で。お前の心のそれが何か、ということです。

そうやって、刻々の只今に生きて、起きもしない未来のことを心配しない。過ぎ去ったことをいつまでもぐちゃぐちゃ悔やまない、というのが達人。

要するに、明鏡止水の心、鏡の心。いつまでも悲しまない、いつまでも嘆かない、いつまでも悔やまない。そして、起きもしないことをぐちゃぐちゃ考えるなと。

一応やるだけのことを考えたら、後は、嬉しいときは嬉しい、悲しいときは悲しい、怒るときは怒るんだけども、いつまでもそうではなく、パッと切り替えて、また何ごともなかったような鏡のような自分になって、只今に生きていきなさいよ。これが一番素晴らしい生き方なんです。

幸運も不幸もない、全部進歩向上で、公平にやってくるというんですけど、公平に陰が進化するときと、陽が進化するときにやってくる、幸運も不運も幸福も不幸もですね、平等に進化のプロセスとしてやってくるんだと。そう考えなきゃいかん。

喜怒哀楽もね、いいんだけども。喜怒哀楽のない人間というのは木石の如き人間で、これはダメなんです。感情があっていいんです。しかし、感情はそのような「迎えず、送らず」。

いつまでもその感情にとどまらないということが極意ですね。そういうふうに生きていったらね、非常に豊かな人間で、切り替えが早くてね、困難があっても乗り越えていくし、調子が良くてもえらそうにならないし、自然体で素敵な人間になれるという、生き方の極意ですね。

(CM)

今夜の放送いかがでしたでしょうかね。構成作家が、浅いトスを上げてくれたんで、私が深すぎた話をして(笑)、もう寝てしまったかもしれませんね、皆さんね。でも、そういうようなのがあってもいいんじゃないかと、時々。ギャグばっかりのときもありますので、

告知ね。
3月17、18、19日、バースディフェスティバルといいましてね、十日戎の宵戎、本戎、残り戎みたいな感じで。

宵戎の3月17日は、「深見東州と、友人達のコンサート」舞浜アンフィシアター。だいたい7時開場、7時半からやります。デービット・フォスター、ベイビーフェイス、シカゴのピーター・セテラ、マイケル・ボルトン、スパイス・ガールズのメラニー・C、キャサリン・ジェンキンス。SS席が18500円、S席が12500円、A席が7000円、B席が6000円。2000席しかないので、すぐ売り切れると思いますけど、チケットはたちばな出版HPで。私も5、6曲歌います。

18日の私の誕生日では、「世界の医療と、国際政治」。ピーター・ピオットさん、エボラウィルスを発見した人で、野口英世賞をもらった人です。六本木のグランドハイアット東京。6時半から始りまして、入場無料ですからね。一千人しか入らないので、すぐいっぱいになると思いますが。

それから、告知3。
「第16回 深見東州・バースデイ書画展」。タイトルは、「かいがいしく絵画を見て、ショーのような書を見て、コテコテのギャグを楽しむ個展。」というね。3月19日(土)から31日まであります。19日の午前11時からですね、ラフォーレミュージアム六本木、最寄り駅は東京メトロ南北線、六本木一丁目。これも入場無料で、毎年恒例で、第16回目です。私の書のパフォーマンス、デカい筆で書いたり、水墨画を描いたりしてね、いろんなゲストが来るんで楽しいですよ。

これ三日間でですね、大げさな話なんだけどね、バースデイフェスティバルと(笑)。

あなたの感想や質問、笑える話、街でびっくらポンしたこと、なんでもメールを下さいね。デコポンというのは好きですけど、びっくらポンというのもあるんですね最近(笑)。


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