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2016年2月

2016年2月29日 (月)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2016年2月26日後半 ワールドメイトブログ

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。


2016年2月26日放送分、今回のテーマは「微笑み」。後半部分を書き取りました。


今週もたくさんのメールありがとうございました。後半もメールを紹介いたしましょうね。今度は、連発でご紹介しますよ。

兵庫県、40代、男性、会社員。
----------------------
いつも放送を楽しく聴いています。
受験の季節なので、連想単語記憶術で受験生を応援します。
ウルトラマンさん、本当なんですか?
シュワー

「I am sure 確かにそうです」(東州さん)

ジャイアント馬場さん、貧乏なんですか?
プワー

「(笑)うーん、まあまあだな」(東州さん)

私が中学校の頃、地元で流行りました。
----------------------
次、60代、女性、主婦。
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「深見東州の『州』にさんずいへんが入って、これは東洲斎写楽の『洲』ですんで、私はさんずいへんありません。現実的には、意味としてあるんですけどね、東州というのは実はですね、最澄の書いた「山家学生式」というなかで、中国から見た日本のことを東州といっているんです。「とうしゅう」「とうえい」とかね、えいは難しい字なんですけど。」(東州さん)

「中国から見て、東だからですか」(東海林さん)

「そうです、そうです、そうです。」(東州さん)

深見東州さん、毎週楽しく拝聴させていただいております。

「はい、ちょうですか(笑)」(東州さん)

15日の放送で、寒~いダジャレのお話しがありました。
深見様と同年代、ダジャレ大好きです。

「これダジャレ大好きってね、1960年までは知的なシャレといっていたんですよ。1960年代に誰かが、『ダ』をつけてですね、ダジャレ、ダジャレというんです。」(東州さん)
「シャレはそうですね」(東海林さん)

「そう、そう、シャレはシャレなんですけどね。落語でね、ダジャレの『ダ』をつけたのはですね、駄菓子屋の『駄』じゃないんですよ」(東州さん)

「だれじゃ」(東海林さん)

「『だれじゃ』(笑)ということで、声が聞こえるのは、放送作家の東海林桂さんですが、この放送作家の書くとおり話したことありませんよ。(笑)」(東州さん)

私の旦那様はお刺身大好きです。
私は、どちらかといえば菜食です。
そこで晩酌のおともは、お刺身のお造り。
刺身は旦那様が食べて、あとは私が食べます。
妻ですからつまらないお話しで、おつまりでした。

「なるほど」(東海林さん)

「おツマなんですね」(東州さん)

「刺身のツマのツマ」(東海林さん)

「うーん、なるほどね」(東州さん)

「なるほどって(笑)」(東海林さん)

「解説するとダメなんです。これがねえ(笑)」(東州さん)

寒いダジャレになってしまい、3分で消えます。シュワッチ。
----------------------
えー次。
群馬県、40代、男性、会社員。
----------------------

いつも楽しく拝聴しています。
先日の放送、大人の話、1月15日でダジャレ話があれば募集します、というようなことをお話しされたので、簡単ではありますが送ります。
いつもファンに噛みつかれているアイドルグループは、(笑)

「よくわからんけどね(笑)」(東州さん)

関ジャニエイト

「よくわからないかんじでしたけども(笑)」(東州さん)

以上、いろいろなお話しを楽しみに、お身体に気をつけてください(笑)。
失礼します。

「えー、というか寒さに気をつけてください(笑)」(東州さん)
----------------------
えー、まー、そういうことで、受験生にこんなんで役に立ったかね(笑)。
一発でわからなきゃいけないんで。解説しなきゃわからないというのは、ちょっと、ねえ。

シュワというのは、諸人こぞりて、「諸人こぞりて~♪シュワ来ませり~♪」
「ウルトラマン、イエスキリストか」
「シュワ」
って歌っていたんですけどね。

「僕は幼稚園の頃、クリスチャンだった学校通ってて、『主は来ませり』ってぜんぜんわからなかった。『主は』って何かわからなかった」(東海林さん)

手でね、こう、山はこれで、

「そう、そう、そう」(東海林さん)

関係ないところで、話題が出てくるのは、東海林さんですね。

「失礼しました」(東海林さん)

東海林さんは、不祥事を起こしたショウジという意味ではなくって、障子の端から開けて、お邪魔しますというかたちでいうショウジでもないんですね。東海林太郎の東海林です。

さだまさしのセイヤングの中の、性だけはヤングなんだけども、年齢は老けてるって意味でしょう、あれ。

「昔はヤングだったんです」(東海林さん)

昔はヤングだったんですか。で結局、放送作家の東海林君出てこいということで、結局まあ、出て話すようになったいう東海林さんですね。

ということで、ダジャレ・ヌーボというワインがありましたね(笑)。

「ありましたね。木曜日発売の(笑)」(東海林さん)

ヌボっとしてダジャレいう、その人がダジャレ・ヌーボっとワインを飲む、それはまた面白いんで。

「裸で飲む、ワインですね。」(東海林さん)

どうなの、それ。

「ダジャレぬ◎△$♪×¥」(東海林さん)

は?

「ダジャレぬごう」(東海林さん)

なるほどね。墓所で脱ごう。墓所で脱ごう。
それは恐いね。お墓で裸の男がおったら。

「墓地で脱ごう(笑)」(東海林さん)

墓地で脱ごうというのは、これはまた、ダイダラボッチみたいなもんでね(笑)。恐いですね、これは、デッドマンの、あの、あれですよ、ゾンビの世界だから。

まあしかし、世の中には、はかない人生を送る人が多いんで、そういう人はだいたい納骨堂に納められて、お墓のない人ね。

「総武線の駅にありますよ」(東海林さん)

なに。

「墓がない駅」(東海林さん)

よくわからないですね。

「小岩駅」(東海林さん)

なんで。

「こいわ、はかない」(東海林さん)

あ、恋ははかない(笑)。
何回聞かれても、よく理解できない駅ってありますよね。
「関内(かんない)」っていう駅。

うちのスタッフがね、有隣堂さんのところで時計のバーゲンやったときに、「せきうち」という駅がある。○○くんというスタッフがおって、どこ探しても、「せきうち」なんていう駅ないですよ。

おかしい、あるはずだよ。この桜木延長の、あるよ、「せきうち」って探してみろよ、ってさ。

それ、「せきうち」っていうんじゃなくて、「かんない」っていうんじゃないですか。あ、「かんない」って読むのか。

その時、僕らも本当に「わかんない」っていいました。

「その先まで行っちゃいけないっていう駅があるんですよね」(東海林さん)

どんな駅。

「やーまて(笑)」(東海林さん)

キスをしちゃいかんという線もありますよ。
「ちゅうをせん(中央線)(笑)」

「雪が降るとすぐ止まっちゃう線。雪にKO線(笑)」(東海林さん)

すぐ脇腹がかゆくなる電車っていうのが、かいそく線。

「日本で最も強い線がありますよ。最強(埼京)線(笑)」(東海林さん)

いろんな線を募集しますね。もうこれ以上聞いていられないのは耳栓といいますけどね(笑)。

「そんなことで、いいのかしら(井の頭)線(笑)」(東海林さん)

いろんな線がありますので、皆さんもお便り・・・。

「駅名とかもいいですね。山の名前もいいですね。」

まえ、ちょっと紹介しました、大学の名前。
髪の毛がふさふさした学生が多いのが、毛多い大学。
物忘れが多いのが、あ、わせだ大学。
なんでも、縫い物が好きなのは、縫製大学。
体を横にしてオナラする人は、横コク(笑)。
ブタみたいな太い足の女性が多いのがトン女(笑)。

「山の名前思い出しました」(東海林さん)

例えば。

「山に登った人が、わからない。シラね山(笑)」(東海林さん)

永遠の命を得るのが、富士山。
くしゃみばっかりする人が行くのが、ハクション(白山)。

「納得する人は、アソ(阿蘇)(笑)」(東海林さん)

年とってもいつも元気な男性が多いのは、立山(爆笑)。
家に定住せずにウロウロする人が、ほっかいどう。

「地名が全然思いつかない町、わっかんない(笑)」(東海林さん)

うーん、なるほど。幼稚園の人とだけ結婚するというご趣味の方。幼稚園組(養子縁組)。

「地名かと思ったら」(東海林さん)

ちめいしょう(致命傷)っていうんですね(笑)。

「なんか答えても全部ダメっていう町、オーノー道(尾道)(笑)」(東海林さん)

それ、オナラばっかりしている町があるんですけどね、へろしまっていうんですけど(笑)。

「すぐですね、手を挙げて横断歩道を渡ろうよとか、そういう言葉を作る県、標語(兵庫)県(笑)」(東海林さん)

頭突きばっかりする人が多いのは、こうべ市(笑)。

「もう秋田県(笑)」(東海林さん)

もうこれ以上は岩手県(笑)。
太って太ってどうしようもない人が多いのが、ヨコハバ市(笑)。
横に向けてオナラする人、横スカ市(笑)。

「足をぶつけて、小指だけをぶつける人が多いのが、大分市(笑)」(東海林さん)

学校の先生のことをね、いつも日本菓子を食べるのは、「仰げば尊し和菓子の恩」っていうんだ(笑)。

「ディレクター、あきれています(笑)」(東海林さん)

これで終ります。どうも。

(CM)

今日の放送いかがでしたでしょうか。ここの後枠があるのを忘れましてね(笑)。後釜のことも後枠のことも忘れまして、果てしなくお互いに、ダジャレのラリーから始りまして、昔は連歌というのもありましたけどね。連歌みたいな感じですね。

あなたの感想や質問、笑える話、街でびっくらポンした話、さっきいった駅の名前。放送作家も出てきて、お互いがもう永遠に続くという、こういうのもいいんじゃないですかね。


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2016年2月27日 (土)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2016年2月26日前半 ワールドメイトブログ

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。


2016年2月26日放送分、今回のテーマは「微笑み」。前半部分を書き取りました。


こんばんは、深見東州です。ご高齢になってご結婚された方は、恒例によりまして(笑)、「バンコンワ」。

犬を飼っておられる方は、「バンケンワ」。どうですか(笑)。毎週金曜日のこの時間、30分という短い時間ですが、私とあなたをつなぎながら、お話ししましょう。

今週のテーマは「微笑み」です。

微笑みは、女性にとっては大事なものですね。有名なところはモナリザがあります。モナリザは、「Mona Lisa」で「L]なんで。本物見たことない人がほとんどですけど、「モナリザの微笑み」という絵の写真をね、ほとんどの人は見て知っておられるでしょう。

不思議な笑みという人もいるしね、さまざまな秘密とか謎もたくさんあるダビンチの絵画です。今日は聞いてくれる人が微笑んでくれるといいんですけどね。失笑だと困るし、爆笑すぎると、家族、ご近所が困ります。

冷笑だったら、冷ややかに笑うだったらね、ラジオのスイッチを切られてしまうかもしれませんけども、まあ、微笑んでいただけたらなと思います。

では、今日という日が終る時間までおつき合いくださいませ。

(CM)

モナリザというのは、世界で最も知られた微笑み、世界で最も見られた微笑み、世界で最も描かれた、歌われた微笑み、さらに世界で最もパロディ化された微笑み。まあ、東州さんはルーブルで本物とのご対面は?なんて、放送作家がいうんですけど。

74年に1回だけ、上野の国立博物館で公開されました。画家として、モナリザをどう思われますか?

僕は、ルーブル行って、本物を見ました。いっぱい人が並んで見て、なんだこんな絵か、ということで終りでした(笑)。人が並んでいてね、ガラスの奥に盗まれないようにあるわけなんで、あんまりじっくりジーッと見れないですね。

イギリスの国立美術館なんかは、有名な絵がすぐそばで見て、みんな学生がスケッチしてね、模写していますよ。

僕は、声帯模写はしたり、形態模写はするんですけどね、絵の模写はですね、「もしゃくしゃ」するもんですから(笑)、したことないですね。

でも絵の学生はやっていますけど、ルーブルではね、あまり人が来すぎてできないですね。モナリザの微笑を模写して、描いてみたいですけどね。

実は、モナリザの微笑には面白い話があって、ルーブルにある一つの部屋があって、モナリザの微笑のニセ物ばかりが置いてあるところがあるんですね。

全部ニセ物なんですけどね。それを見ててですね、本物とどこが違うんかと。あるニセ物は、色のこういうところだけまねている。あるニセ物は、形のこういうところだけまねている。あるニセ物は、肌のここだけ似ているんだとか。どこか一個か二個はまねしているんですよ。

本物は、全部一つの絵に兼ね備えているわけですね。だから、本物のすばらしいものというのは、多くの要素が一つの中に組み合わさって一個の本物の絵ができているんで。本物を描けない画家っていうのは、一個か二個はまねできるんですね、その要素を。

だからそういう達人とか、名人とか、巨匠という人は、一つや二つではなく、多くの人が見習える要素を兼ね備えているのが本物のすばらしい人間であり、作品だと。

ニセ物の作品、ニセ物の人間というのは、一個か二個はできているんだけども、全部は、総合はまねできないと。

これがまあ、モナリザの絵を見た人が、ニセ物ばかりが集まっている部屋を見て、本物と見比べたときに気がついたことで、18歳ぐらいの時に読んだ本に書いてあったことですけどね。

本物はあらゆる物が兼ね備わっているということですね。こういうのは、孔子さんがこういってて、

「勇気に関しては子路にはかなわないし、真心を込めて正直にずうっと勉強するのは顔回にはかなわないし、子貢というものは弁舌ではアレなんだけど、だけどそれぞれの要素を全部、六割か七割か全部兼ね備わっているのは私だからまねできない。」

この話の延長線上で、漢の国を作った劉邦がね、「軍事の作戦はお前にかなわないし、食料の調達はお前にかなわないし、軍隊の訓練に関してはお前にはかなわないし、軍略、策略にはお前にかなわないし、武器の調達はお前にはかなわないし、ワシはお前らにかなうところはどこにもないのに、はて、ワシはなんで漢の高祖となったのかな」と聞いたら。
部下がいった、「いや、陛下は『将の将たる器(うつわ)』を持っておられます」

こういうので、君子は器ならず、というのが論語にあって、君子というのは器じゃないと。あらゆる器を適材適所に配合できて使いこなせる器じゃない器を持っている。だから、君子は器ならずという。

あらゆる器を使いこなし、適材適所にまくばれる器じゃない器、それが、君子の器だと。だから、将の将たる器を持っておられるというのは、君子は器ならずという論語の意味はそういうことなんですね。

だから、あらゆるものが少しずつ兼ね備わっている。そして、一個ずつは足りないんだけど、すべてのものが兼ね備わって、特にこれっていうものがないから、特にこれという人を使いこなせる。これが将軍というものだと。君子というもんだといえるんですけどね。
「企業のトップもそうかもしれない」(東海林さん)

企業のトップもそうでしょう。ある程度全部わかっているけども、エキスパートではないわけです。こういうのを、スペシャリストとゼネラリストの違いっていうのね。

君子は器ならず、将の将たる器を持つ、企業のトップはゼネラリスト。なんでもできているけどもスペシャリストみたいに、一個が極まっていない。

まあ、私もそれを目指していますけどね。なんでもできますけども、その一個の人にはかなわない。どっちかっていうと、10種目競技の金メダリスト。オリンピックの10種目をやって、1種目のものにはかなわないけど、10種目やる競技のなかでは金メダリストと。まあ、そういうふうなのが私の目指す方向ですけども。

スペシャリストは、一つのことが誰にも負けない、重要な歯車としてなりたっている。ゼネラリストはその歯車を使いこなす器だと。

本当は、仏教でいうならばゼネラリストっていうのは、まさに比叡山があらゆるものを生み出す。比叡山は法華経をベースにして、律という道徳と密教と禅、四つを兼学するのが比叡山。

真言宗、高野山は密教だけですからね。でもあらゆるものを、南都六宗の宗祖よりも空海は天才で、全部理解していましたからね。

だから、皆尊敬して、全部に額を書いてあげて、南都六宗の人、全部空海に伝法会を受けて帰依したということで、そう単純に分けられないですけども。

まあ、空海は密教のスペシャリスト、最澄はゼネラリストといえるんですけども。空海の場合は、ゼネラリストのスペシャリストのゼネラリストですけどね(笑)。まあ、置いといて。

モナリザの微笑を見ると、ルーブルのニセ物ばっかり集めてるのと本物はどう違うかという議論が、昔18歳か19歳で読んだ本に書かれていたのが、今も印象に残って忘れないですね。

ということで、メールを紹介しましょう。

ペンネーム:スパゲッ亭パスタ
30代、会社員

先日の放送は、世界文学全集や埼玉県の嫌いなところの話はウケました。
久しぶりに学生時代、学園祭であった落研大喜利を思い出しました。
私は、落研でスパゲッ亭パスタと名乗っておりました。
みんな、噺家(はなしか)の名前を考えるだけで盛り上がりました。
私の落研の仲間の名前は、ブラッ亭マリーという女子大生でかわいい子でしたが、卒業後は、音沙汰なし。
ああ、逃がした魚は大きかった。
ということでですね、ダジャレや笑いは心を豊かにするなあ。
新幹線のネタで、あなたの人生ののぞみはもうありません、でもひかりはあります。

「という声がこだましている、という(笑)」ここまでいかないと。(東州さん)

大けがをしたらエーゲ海沿いの病院へ、えー外科医。
長崎は今日も雨だったは、長崎の歌ではない佐賀市の歌です。「さがし、さがし求めて~♪」


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2016年2月22日 (月)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2016年2月19日後半 ワールドメイトブログ

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。


2016年2月19日放送分、今回のテーマは「一人前」。後半部分を書き取りました。


今週もたくさんのメールをありがとうございました。さて、後半もメールを紹介しましょうね。

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深見東州さん、スタッフの皆さん、こんばんは。

スタッフの皆さんだって、ね。こんばんは(東海林さん)。年寄りばっかりですよ(笑)。(東州さん)

初めてメールします。オンディマンドで毎週かかさず楽しんでいます。
土曜日の通勤がより楽しくなっています。
そして、エンディングの深見さんの、「皆さんの○○○お祈りいたします」を聞くと、心が温かくなり、その時に、深見さんとつながれたように感じています。
ところで、毎年年末恒例の一文字漢字、2015年は「安」でした。
私個人は、年頭に一文字を決めて一年を過ごします。
それが越えるでした。「越」。
2016年は、「尊」。尊いと決めています。
この尊いの文字についてお話しがあったら、ぜひ教えてください。
それと、オープニング。
歳をとってから「晩婚は」
また聞きたいです(笑)。
思わずリピートして、車内で爆笑していました。
ちょうど、嫌なことがあった後だったので、回復力抜群でした。
深見さん、大好きです。

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尊い、ね。尊ぶでしょうね、これね。

尊いという漢字で見たら、私はまず浮かぶのは、「命(みこと)」という字と「尊」という字と「大神」。

人間が死んだら「命(みこと)」になる。本当の神様は尊いと書いて「尊(みこと)」と読むんですね。スサノオノミコトというのは、肉体をもっておって、お亡くなりになったら命と書いて、須佐之男命なんですけど。

尊いという漢字の「尊(みこと)」というのは、まさに内的に神なるものに神上がりしたのが「尊(みこと)」。だから「命(みこと)」の上が「尊(みこと)」なんですよ。その上が「大神」様。

より磨かれた、洗練された、輝きを発する命こそが、尊いという字の「尊(みこと)」ですね。

だから、そこまで深く考えて「尊」っていう字でっていうのは、自分の魂を磨き輝くように錬磨していく、その「尊(みこと)」でありたいなと。という意味で「尊」という字を書いたのならば、これは読みが深いけども、そこまで考えているとは思えないんで(笑)。

まあ、これを「尊(たっと)ぶ」と読んだらば、何を尊ぶかですね。今でているアドラー心理学なんてね、トラウマなんかないんだと。そういう悲劇的な屈辱に満ちたような体験をしたものを、どうとらえるのか。自分がこのようにすばらしいものとしてとらえていく。とらえ方を変えるとトラウマなんかないんだと。

トラウマというものは実はないんだと。そのときの経験を自分がどうとらえるかなんで。トラウマになっているのは、とらえ方が悪かったわけなんで、とらえ直しをすればトラウマが消えていくと。

まあ、恐怖の体験でフラッシュバックしたりもするので、必ずしもアドラーさんのいうとおりではないんだけども、多くの人間というのは、対人関係で生きているんだと。で、フィリピン人との関係は大丈夫なんかと思うんですけどね(笑)。

まあ、タイ人関係、フィリピン人との関係(笑)、マレーシア人との関係(笑)、カンボジア人との関係も(笑)、まあタイ人関係以上に大事なものがありますよね(笑)。

「真剣に聞いていたら(笑)」(東海林さん)

真剣に聞いていると、フォークボールが(笑)。直球、直球のときに目が慣れて、そこに同じ球筋で行くとフォークボール(笑)で空振りがとれるんですけど(笑)。

まあ、そういうことで、人の悩みはだいたい対人関係で起きてくるというのがアドラー心理学。どのような経験も、神道の言葉では、御魂の恩頼(ふゆ)となると。人生いいことも悪いことも、すべて自分の糧になっている。ご恩の「恩」と信頼の「頼」ですね。恩頼と書いて、「ふゆ」と読むんですよね、神道ではね。

要するに、魂の栄養です。自分の栄養です。神道では、「恩頼の御魂とならしめ給え」といったりするね。なんでも魂の栄養になったら、いいことも悪いことも。で、それが大事なのが、これは自分の魂の栄養になったんだというふうに、いいことも悪いことも考えるということが大事なんです。

いいのか、悪いのかというのは、自分がよくなったんだと、糧になったんだと思うと、傷つかないし、トラウマにならないと。そういうふうに思うことが自分を尊(たっと)ぶ事なんですね。

我(が)というものですね。私のノート、私のパソコン、私のマイクロホン、私のお金というの。これ小我の、小さな我の、私のものだと考える。そうではなく、自分が見たり聞いたりし、接触したもの全部私の中の一部なんだと、こういうのは大いなる我と書いて、大我(たいが)というんですね。

だから、大我に生きると、自分が見たり聞いたり、体験したり、出会った人も、皆自分を形成する一部なんだと。それらを大事にしていこうという、こういうのは、「小我を捨てて、大我に生きる」と。

自分、自分、自分、自分のものというよりも、自分も他人も大きな意味での自分を形成する一部だから共有していこうじゃないか、シェアしていこうじゃないかっていうね。

小さな我欲で私しないような公の心をもつのは、大我に生きる。「小我を捨てて、大我に生きる」というのは仏教でいわれることでね。

そうすると、自分の中のミコトが輝くし、本当の意味で尊ぶと。小我の欲心で大事にするんじゃなくって、見たり、聞いたり、触れたり、出会った人も、自分の一部だから、全ての環境と全ての人を大事にする、尊ぶ。これは小我ではなく、大我に生きるというわけですね。

そういう尊び方というのが、非常に人間として、素晴らしい尊び方じゃないかと思うんですけどね。

小我に生きず、大我に生きて、大我の見地からものを尊ぶ。見たり、聞いたり、触れたり、出会った人も、すべて自分の一部なんだと。だから、尊ぶ。

こういうふうに考えて、尊ぶというテーマを生きたら、これは素敵な一年の方針ですし、自分自身を尊ぶために、自分を傷つけないように、すべて物事を魂の栄養になったんだと。恩頼の御魂になったんだと、御魂の栄養。

松下幸之助が、いまだかつて失敗したことがないと。なぜかというと、成功するまでやるからだと(笑)。

だから、自分が豊かになるように受け取って、成功するまでやり続けるということが、自分を尊んでいることになるんじゃないかと。


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2016年2月21日 (日)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2016年2月19日前半 ワールドメイトブログ

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。


2016年2月19日放送分、今回のテーマは「一人前」。前半部分を書き取りました。


今週のテーマは「一人前」です。「一人前くださーい」というお寿司一人前、定食の一人前ではなく(笑)、人としての一人前ですね。

職人なんかは、仕事が任されるようになると一人前。できる人ほど、仕事ができても、「いやー、まだまだ一人前ではない」という人もいますね。

一人前の試験っていうのがあるわけではないんですけど、「あなたは人として一人前なんでしょうか」

では、今日という日が終る時間まで、おつき合いくださいませ。

(CM)

そろそろ学生を卒業して、社会人という人もいるでしょう。中学から高校へ、高校から大学へ、高校から予備校へという人もいるでしょう。

まあ、わがみすず学苑は、高校から予備校へ行って社会に出て、それからもう一度予備校に来てね、確か、成城短期大学だったのか、もう一回やりたいということで来てね。

みすず学苑に来て、それから1年間浪人して、東京外大の英米科とね、上智大学の外国学科の・・・の両方通ったんですよ。社会がなかなか覚えられなくって、っていってましたけどね。

それで結局、上智大学の外国学科の、三年生からかな、学士入学のほうを選んでいきました、彼女はね。そういう人も予備校に来る場合が多いです。まあ、そんなにして私たちも応援してますけど。

なにかと生活が大きく変わるのが2月、3月、4月ですね。一人前になったと思えるのは、どんなきっかけからでしょうか。

しかし、一人前と思っていると挫折が襲ってきますよ。これでオレは一人前といえるのだろうか、ってね。

ということで、メールを紹介いたしましょう。

-------------------
ペンネーム:若葉マークさん
10代の学生。

受験も終り、無事に4月から、とある地方の大学生になります。
そこで、春休みは自動車学校に通うことにしました。
運転免許があれば、なにかと便利だと思うんですけど、
東州さんは、なにか資格や免許はありますか。

-------------------

僕なんて、免許だらけですよ。ほんとうにあの、アザだらけとか傷だらけという人生(笑)もありますけど、免許だらけ、資格ね。

僕の資格というと、お華の免許、嵯峨御流(さがごりゅう)師範の免許。茶道は、江戸千家のしんりゅうはの看板。書道は、大東文化大学の書道教授。能は、宝生流の師範で、能楽協会の会員ですね。能楽協会の名簿にちゃんと半田晴久が出ていますね。

そういうことで、資格というのは、お華、お茶、書道、能ですか。これはね、資格としてあるんですけど、オペラ歌手としての資格というのはないですね。ゴルファーもプロテストもありますけど、QTに通って、ファイナル通って、プロだと宣言すれば、プロなんで。宣言したらなるという資格もありますよ。

いろんな資格、資格っていいますけどね、こういうふうなのが資格と思っているんですけど、実はね、こういうふうな資格だけが資格じゃないですね。

私が思うのはね、役職というものも、実は社会の資格ですね。課長という役職っていうのは、その組織の、会社の中での資格ですよ。そうすると課長という役職はまさに資格を与えられているので、その課の中での課長の権限があるわけなので、権限があり、権力があるわけなのでね、限られた。

そしてその分だけ、役職手当をもらえるからね。お金がもらえる資格のようにですね、給料がもらえるし、その分だけ、給料と権力と権限が、許された分だけ自己実現がもできるわけです。社会的自己実現ですね。

代表取締役になったら、印鑑ついたら、最終的に無限の責任を負って、そのカネを支払わなければいけないんで。従業員いなくなっても、代表取締役だったらお金を返済しなくちゃいけないから、追いかけてきます、債権者がね。

だから役職っていうのも、社会のコミュニティの中における資格ですね。この役職という資格は、権限と権力、社会的自己実現とともに、それ相応のお金がもらえるわけなんで。
だから、こういう何かのライセンスをとるというのは、自分が習得すれば、お華とかお茶というのは先生方とのおつき合いもいるし、日舞なんかでもね。

だけども、学歴というのもひとつの資格ですけども、学歴の場合は、学歴だけじゃ食えない。特に博士号というのは「足の裏のご飯粒」といわれるんですね。取らないと、気になって、気になって、気になって、気になるんですけど(笑)、取っても食えないと(おー)。足の裏のご飯粒っていうのは、食えないでしょう(笑)。

だから、博士号というのは、取らないと気になるけども、取っても食えないというんで、「足の裏のご飯粒」といわれるんですね。

それは、それだけのものできるんだなっていう、その年代のある程度の基礎学力の基準といえますから。学歴も会社に入るときと、転職のときは問われますけど、入ってしまえば、ほとんど関係ないですね。

目上と同僚と目下と、どう人間がつき合っていくのかという協調性、忠誠心と任された責任がどうなのかなのですけど、会社でいわれるのは、まず忠誠心。会社に対して忠誠心があるかどうか。

次は、協調性があるかどうか。3番目は、任された仕事をちゃんとやりきっているのかどうかです。それとあと人望。目上と同僚と目下とどうなのかということで、人事考課という、係長が部下を見、課長が課を見、部長が全体を見て、取締役が取り締まっているわけで。

その人事考課がある限り、会社の上司とはどんなに親しくなってもね、越すに越せない溝がありますね。客観的に人事考課をしなくちゃいけないから。

自分が努力してもらえる資格っていうのは、難しいといってもね、弁護士とか公認会計士っていうのは難しいですけども、取ったからといって食えないですね。弁護士資格があっても食えない、公認会計士資格があっても食えない。

やっぱり、コミュニティの中で宮仕えをし、忠誠心、協調性、仕事の責任を持って、コミュニティの中でその人が判断されてはじめてお金になっていくわけで。

だから資格がいくらあってもですよ、資格を生かしきる技能があってもですよ、コミュニティですから、やっぱり全人的な社会的パフォーマンスがないと、お金につながらない、収入につながらない。

お金につながらないということは、この世の価値観の置き換えですから、この世で価値あるものといえないわけですね。資格取っても、その資格で収入を得るところまでコミュニティの中での全人的なものがないとですね、やっぱりお金にならない。すなわち、この世で価値あるものといえないと。

ということを考えたときに、資格がなくても、役職というもの、係長、課長、部長、取締役、社長、そういうかたちで、役職を上司や会社から与えられるということは、それも私は資格だと思うのね。その資格は、役職手当ももらえるし、責任と権限と権力を与えられる。

そういうことで、衆議院議員、参議院議員も考えたらあれも資格試験で、それだけの権限、権力を授かる。ですから、内閣総理大臣なるのも、いわば、内閣総理大臣の資格。

すなわち、役職、立場というものは、それだけの社会から任された、認められたものですよね、そういうふうに考えてですね。資格試験ばかりとっている若い人間がコミュニティの中で、公認会計士、税理士、弁護士の資格あったとしてみても、会社で就職するとか、コミュニティのときはどうなんだろうか。

この人忠誠心あるのか、協調性あるのか、任されたことちゃんとやり遂げるのか、報告、連絡、相談という基本的職能力あるのか、どうなのか。そういう所で有能な人はですね、たくさん資格持っていることと同じなんですよ。

だから、資格を取ることに集中して、そういうコミュニティの中での自分のパフォーマンスを磨かなかった子は、結局、年月をもってみたら、社会で出世していないし、出世しなくても成功しているといえないんで。

そのあたりを若い人が、資格とるとか、資格があるものが要るよねっていうふうに、短期大学とか、資格の取れる大学が、看護学校だとか人気あるんですけども、ものの考え方が浅いなと。

社会というものをよくわかっとらんし、単純に、資格の取れる大学に行くというのがどうなのか。食いっぱぐれがないというんですけど、資格とったから、食いっぱぐれてないかですよ。

やっぱり、協調性がなくって、忠誠心がなくって、責任の所在もたなかったら、弁護士とっても、公認会計士とっても、税理士とっても、社会保険労務士とっても、いろいろな資格とってもですね、雇ってくれませんね。雇われてもクビになりますね。

そういう社会の実際を考えたら、資格が取れる学校に行くというのは、ちょっと浅はかな考えすぎる。一番大きな資格は、大きな組織の中で大きな役職任されて、人、物、金を牛耳れる権力、権限、組織を動かせるだけのものというのは、収入もでてくるし、社会的自己実現ができる。これが一番大きな資格ではないかと。

そういうふうに考えるので、そう簡単に、資格がもらえる学校がいい、看護学校がいい、英語の資格がもらえるからいいとか。資格取れれば社会で成功し、喰いっぱぐれがないからという考え方で若い子がいるのは、どうもいただけないなと思いますよ。

ところが、大学のときにずうっとラグビーばかりやっていたという、ラグビー資格、ラグビー検定というのはないわけで(笑)。自己犠牲をしていきながら、体力と集中力をもって。チームワークの力じゃないですか、ラグビーはね。

サッカーもあるていどそうだけど、どっちかっていうと個人プレーもあるんだけど。ラグビーはもう、前に出せず、後にしか出せないんで、自分が犠牲になってチームがいくっていう。

だから、サッカーが労働者のスポーツ、ラグビーは経営者のスポーツとかね、貴族のスポーツ。労働者のスポーツがサッカーだと、イギリスとかヨーロッパではいいますよ。

そういうふうに大学でずうっとラグビーばっかりやって、ラグビー部の主将やっていましたっていうのは、大企業とか、企業にとっては、ぜひうちへ来てください。それは、体力があり、一つのものを志していくし、忠誠心があってね、組織にも、そして協調性があって、自分の責任を全うできる。

だから、ラグビーを4年間やっていた人というのは、会社にとって、組織にとって、ぜひ来て欲しい人材ですね。

会社の経営者、組織でラグビーやっていた人が、取締役社長になったらすごいですよ。それは、忠誠心、協調性、任された責任を全うする、報告、連絡、相談、コミュニティの中での総合的な実力があるわけなんです、マネージメント能力が。そういう所を経営者は見ますよ。

で、大学のとき資格ばかり取ってましたっていったら、うちの会社に来る資格はないと(笑)。こういうふうに、世の中の実体から考えてね、資格というものも考えて欲しいと思いますね。

そういうことで、僕はたくさんの役職をもっているのは、肩書き自慢じゃなく、役職があれば、権限、権力、その働き、コミュニティに関与できる権利がもらえるからなんで。そういうことで、任されて、お願いされるわけなんで。これも考えたら、たくさんの資格があるのとイコールだと思いますよ。


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2016年2月15日 (月)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2016年2月12日後半 ワールドメイトブログ

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。


2016年2月12日放送分、今回のテーマは「告白」。後半部分を書き取りました。


お便りを紹介しましょう。
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住所不明。

毎週、欠かさず拝聴し、楽しませていただいています。
内容がバラエティに富んでいまして、毎週新たな発見があり、また笑っています。
昔のラジオ番組のように長く続きますように願っています。
お身体に気をつけてください。

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昔のラジオ番組って、私はFMで22年間やってまして、「セイザン・ケンザン」というのを3年間東海ラジオでやっていまして、「今夜もウェルカム」というのを・・・でやってまして、「ハートのプラネタリウム」というのをTBSで酒井ゆきえさんと3年間やっていました。一番長く続いた20何年なんで、そういうふうに私もなりたいなと思っております。

それからもう一つのお便り。

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住所不明。

いつも楽しく拝聴してさせていただいています。
ためになるお話しありがとうございます。
ちなみに私は、ドジでおっちょこちょいな性格で、失敗ばかりしてしまいます。
失敗しないようにと思っても、しばらくするとまた繰り返してしまします。
仕事で失敗し、会社から叱責されるので、仕事も変えたくなります。
この性格を直すにはどうしたらいいでしょうか。

--------------

こういう質問なんですけどね、良くある質問でね。こたえは簡単です。

直りません、こんな性格は(笑)。

それが、小っちゃい頃とかだったらいいんですけどね。このような性質直るわけないですよ。

私どもの従業員にもこういう子いっぱいいまして、「もう直すのやめろ」と。直らないから。僕らも直って欲しいと思わない。

だけどもそれよりも、その人にしかできない長所があるわけなんで。エネルギーと時間を他の子に秀でているところ、それを磨いて役に立てばいいんですよ。

まあ、君はドジでおっちょこちょいなところもあるけども、コンピュータ、パソコンが信じられないようにできるとか、経理の数値なんかっていっても、ドジでおっちょこちょいなら、経理も信用できませんけども、入力させれば完璧だと(笑)。

それからセールス、言葉がこう巧みで、人にセールス。ドジでおっちょこちょいな場合はセールスに向いている場合が多いですね。

販売員、営業マン、こういう対人関係でこう、接客業とか、対人関係、セールス、こういうのがいい人多いですね、ドジでおっちょこちょいな人っていうのは。そのほうがかわいがられますよね。

だから、その性質が活かされるところというのが、だいたい営業、販売、接客業、明るく楽しく、もちろん電話営業でもいいんですけど。

「私ドジでおっちょこちょいなんですけど、ね」っていって、人がいい人が多いので、その長所を活かすことだけを考えて。

欠点は直らないけども、なるべく表沙汰にならないように、こっそり隠すというね。目立たないようにする。表に出ないように、こっそり隠して、いいところが前に出るようにすると。そういうふうに、うちの従業員にもいっています。

だから、この住所不明のかたもそう考えたらいいんじゃないでしょうかね。

それから、告白。まあねえ、バレンタインデーなんていうのは、チョコレート会社が勝手に作ったものなんで、セント・バレンタインと全然関係ないんでね。

僕の一生を変えたのも、告白なんですよ。

高校一年生のときに、ある女性から、優秀な高校の優秀な・・・、手紙が来ましてね。

「私って、半田君のことがだんだん(好きに、嫌いに)になってきて、(どちらかを自分で選ぶ)」と書いてある(笑)。

えー、と考えてね。その時に僕は、「そうだね、僕もあなたのことがだんだん(好きに、嫌いに)(どちらかを選ぶ)なってきたんですよ。今度どこか喫茶店でお茶でも飲みましょうか」といって、普通にその告白に、大人に応えてあげたらよかったんですけど。

そうではなくって、高校一年生の僕は、一生懸命8ページくらい書いたら、あなたみたいな人は、こんな人とは思わなかったってさ(笑)。

告白したことによってふられました(笑)。

向こうから来て、うーん、大人じゃなかった。それで、あー、文章って大事だなということで、毎日、日記を書くようにしましてね。このように、物書きになったんです。そのお陰なんですね。

で、ラジオのゲストでね、山本コウタローさん、走れ走れコウタロー♪って歌があるでしょう。あの山本コウタローさんが来たんですね。

その時に、おんなの子から告白の手紙が来たときに、僕も書いたその文章がまずくて、その女にふられちゃったんだよねって。

「えー、僕と同じじゃないですか」(笑)

「え、東州さんもそうですか」

「いや、僕もそうなんだよ」

で、山本コウタローさん、走れ走れコウタロー♪を作曲した。

「岬めぐりもあります」(東海林さん)

岬めぐりもありましたね。で、そのコウタローさんが同じ体験をしていて、意外にこういう人って多いんだなっていうことがわかりまして、僕だけじゃなくって。

それで、文章が大事だっていうことで、磨かれていくんですけども、告白したからといっても、高校一年生の僕には、バカ正直すぎましたね。

という苦い体験から、告白に告白はダメなんですよ(笑)。そのように、普通にいって、全部をいいすぎないことがいいんだと。あと、深夜、夜の10時以降は手紙書かないことです。つい書きすぎてしまうんで。

午前中に書いた手紙っていうのは、なかなか客観的冷静なんですけど、夜っていうのは、あまり入り込みすぎちゃうんで、失敗する手紙とか、失敗する告白というのは、だいたい夜書いたものですね。見たらすぐわかります。

そういう告白の手紙は、なるべく昼か、午前中に書いて、深夜に書いた手紙はだいたい失敗する。告白の手紙は、深夜書かないこと。

朝かお昼に書いて、告白しすぎないこと。告白っていうのは、しすぎないことが、成功するコツだなということが思っていますね。

大学一年生のときも、また来まして、「心の片隅に置いてくれればいい」。ああ、片隅ならいいんだなと。そういう7年間のその女のために葛藤した結果、誰ともつき合わなかったのが、守られていたのかと思うんだけど。

「もう、こりごりだ」と思ったときに来まして、心の片隅なら楽だなと思って。

お前、女の気持ちはそういうもんじゃないんだということで、先輩が、お前はその7年間にね、きたもので傷ついているから、これまともにやれということで、

「いやだ、もう次はやりたくない。女だけは」

告白でひどい目にあっているからね。

「いやだ」

「つき合え」

というかたちで、結局、向こうから来たもので、またひどい目にあって(笑)。女性からの告白というのはひどい想い出しかないですわ。

女の告白は要注意。心の片隅なんていうのはまったくウソですからね。文面通りに、告白通りに受け取らないように。

普通にご飯食べて、お茶飲んで、楽しくいって、自分で告白しすぎないように。

そういうご飯食べたり、お茶を飲んだりする、その中で少しずつ深めていけばいいんで。告白は、あくまでもきっかけなんだということでね。

大人になったらそうできるんだけども、若い頃は未熟だった分だけ、ひどい目にあった。青春時代の恋なんか、胸にトゲ刺すことばかりっていうのは、自分が未熟だったんです。
これが私の告白に対する考え方ですね。




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2016年2月13日 (土)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2016年2月12日前半 ワールドメイトブログ

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。


2016年2月12日放送分、今回のテーマは「告白」。前半部分を書き取りました。


こんばんは、深見東州です。
ぜんぶ私の話っていうとね、私がもし入れ歯だったら、取ったら、ぜんぶ私の歯無し(笑)。
毎週金曜日のこの時間、30分という短い時間ですが、私とあなたをつなぎながら、お話ししましょう。なんでつなぐのか、なんでね、義理でつなぐのが(笑)、義理チョコじゃないんだけど、義理ラジオですね(笑)。
今週のテーマは「告白」です。
なぜかというと、今週の日曜日はね、バレンタインデーなんですよね。しかし、今年のバレンタインは日曜日なんで、会社がお休みだから、上司に、あるいは会社の同僚に義理チョコしなくていいから、助かっているというOLの声も多いようですよ。

本来は、チョコレートプレゼントして愛の告白を、女性のほうからいいにくいからね、で、このときは女のほうからチョコレートをあげて、好きなんですという。男はどんどん告白するけど、女性のほうからなかなか堂々と告白できるチャンスっていうのがなかったのが、まあそういうのが本来いいところだったんでしょうけどねえ。

今は全然、時代とともに意義も変わり、みんなの意識も変わってきました。昨年のバレンタインでですね、誰にプレゼントしたかっていう、統計と調査をしましたね。最も多かったのが友達でした。

すなわち、友チョコっていうのが一番ですね。この他にも、義理チョコとか、いろんなチョコがありますね。

僕なんかだったら、なんでもこっそりと見るのが、アンチョコとか(笑)、それからヘナチョコみたいな男がいっぱいいますから、「チョコレートが好きなんだー」とか・・・、ヘナチョコというんですけどね。えー、告白とはまったく関係ないように思うかもしれません。最近は、恋人がいないっていう人が多いんですけど、それはもう、告白へただからですね。

さて、皆さんが食べる日曜日のチョコレートは、ビターはチョコなのか、スイートなチョコなのかということなんですけどね。

さー、チョコレートに関して、告白ということのテーマで、今日はお話ししたいなと思います。今日という日が終るまでおつき合いくださいませ。

(CM)

東州さんのバレンタインの想い出はとか、告白した経験とか、告白された経験とか。恋の告白もあるけど、悪事の告白は懺悔ですよねって。

いずれにしろ、自分の秘密を白日の下にさらす、カミングアウトともいうっていう、こういうことで話ししてください。ってこの放送作家の東海林さんがいうんですけどね。そんな放送作家にいわれたとおりなんかに、話しなんかするもんかい(笑)。

その前にですね、まずお便りから紹介しましょう。

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ペンネーム:ひとりぼっちのOL
20代の会社員。

故郷の徳島から大学進学のために東京に出てきて、もう10年経ちました。
大学を卒業後も、東京で就職しました。
社会人生活も6年が過ぎ、毎日のルーティンの繰り返し、ひとり暮らしに慣れてしまうと、ラーメンを作った後、その鍋で食べるのを慣れてしまった。
このまま、ひとりぼっちなのかなと思うと、ちょっと寂しいです。
ひとりぼっちと口の中でつぶやいていて、「ぼっち」って何とか思っちゃって、
「ひとり墓地」とか思っちゃって、お墓もひとりの墓地、そんな私にもっとも嫌いなバレンタインデーがやってくる。
出会いって、どこにあるんでしょうか。
私のひとりぼっちを解消するためには、どうしたらよいのでしょうか。

-----------------------

ひとりぼっちの「ぼっち」って何かというのは、まあ、墓地じゃないんですけどね。法師と書くんですね。「ほうし」、お坊さんのことですね。法律の法に師匠の師。法師がぼっちになったんですね。

ひとりぼっちっていうのは、ひとり法師のことで、要するに、どこの宗派にも属さないお坊さんのことを、ひとりぼっちっていう。ひとり法師ですね。そこから、この言葉ができたといわれているんです。

お坊さんは、どこの宗派にも属さないけど、仏道を成就し、仏様のために生きているんで、お坊さんの法師は寂しくないですよ。仏様とともにあり、自らの仏性を発揮し、仏様とともに生きているつもりですから、本当の意味での「ひとりぼっち」は寂しくない。仏とともにあるわけで。

そのためにひとりでいるわけですから、出家するとか、僧侶であるということはそういうことですから。

僕ね、NHKで見たんですね、こういう番組ね。あの、無縁の世の中とか、無縁社会とかって。煙のない社会じゃないですけどね(笑)。ドルばっかりで、円がないという意味じゃないですけどね(笑)。

そうするとその、出てきたおばさんが、質問とか討論やっているんですね。自分というものの価値を認めてくれない社会と。自分を必要としてくれてない社会という若者がいて。
そしたらその、自分というものを必要としない、必要とされてない、自分というものは生きている価値がないんじゃないか。自分を必要としない社会だ、なんていったら。

そうするとおばさんがね、何いっているんですかあなたは、自分が必要とされるかどうのこうのよりも、もっと積極的に社会に出て、必要とされるだけの能力と実力を磨けばね、みんな必要とされるのよって(笑)。

僕を必要とされるかどうのこうのいうまがあったら、自分を磨いて、実力磨いて、必要とされるような能力、才能、職能力をみがけばいいじゃないの。そしたらその能力の分だけ必要とされるんで。必要とされているかされていないかじゃなく、自分のほうから社会の中に飛び込んで社会で有用な人間になるのに、なぜ能力と才能を磨いて努力しないのよっていって、そのおばさんが喝をいれているのね。その通りですわね。

だいたいね、私からいわせると、こういうようなことを、ひとりぼっちで何なのかとか、社会人でルーティンワークの繰り返しとか、あー、出会いってどうなのかという悩みね。
99.9%なぜこの悩みが起きてくるかというのは、結論は決まっているんですよ。

暇だからです(笑)。

「小人閑居して不善を為す」というんですけど、ある人が禅のお坊さんに聞きました。私っていろいろと悩み事があって、仕事が手につかないんです。どうすれば、仕事が手につくようになりますかねっていって、禅のお坊さんに相談したら、

「ああそうか」、こたえは一つだと。悩み事がないぐらい仕事しろと(笑)。悩む間がないぐらい仕事しろと。目の前のねばならない仕事に没頭してないからこそ、悩み事が起きてくるんだと。

悩む間がないぐらい仕事しろというのが答えです。

だいたい、悩み事とか相談事というのは、私は悩みを3種類に分けてるんですね。まず、努力して解決する悩み。それから、もうしばらくおいておいたほうがいいという、ペンディングにする、すると解決する悩み。それから、解決しないという悩みね、男に生まれたかったのに、女だとか。まあ性同一性なんとかに登録すればいいんですけどね。それは誰でも欲すればいいわけじゃない。

身長2mになりたかったのに、180cmしかないんだっていう、バスケットボール、なんで私は2mじゃないのとか。

なんでもっと美人にっていうのは、整形がありますけど。もっと不細工に生まれたかった、まあ整形でぐちゃぐちゃにやればできるんだけども(笑)。

そういう、男に生まれた、女に生まれた、アメリカ人で生まれたかったのにとか、黒人だったら運動神経があってスポーツ選手で、筋肉あるのに、日本人だから胴長足短かで。アスリートとしては、黒人のお父さんのほうが、オコエとかあのね、優秀なのが多いから、運動機能が違うからね。なんで私のお父さんはね、アフリカじゃなかったのかしらなんて、昔じゃ考えられないようなことを考えたり。

そういうどこの国に生まれるとか、女に生まれる、男に生まれるとか、どの時代に生まれるとか、どんなお父さんお母さんに産まれるか、どの地域に生まれるかっていうのは、本当は魂の奥で選んでいるんだろうけども、生まれたときはわかんないですよね。

私はなぜ、スペイン人じゃないでしょうかといわれても(笑)、そんなもんは悩んでもしょうがない、解決できない問題ですよ。

こういうお父さん、こういうお母さん、こんな息子ができたというのは、お父さん変えられないわけなんで、それは考えてもしょうがない、諦めるしかない。

それをより良くどう受け取っていくのか、障がい者でもそうですね。努力して解決できる障がいもあれば、もうしばらくすれば解決する場合もあれば、努力を超えた、障がいのある子供が生まれたときにはそれをどう受容して、乗り越えていくのかに意味があるわけなんで。

世の中には、解決できない問題は、解決できないというふうに解決しなければいけないんです。もうちょっと待つという解決と、努力して解決するというふうに3種類なんでね。
努力しても解決できないものは、解決できないということで、忘れて、違うところに没頭したらいいわけですよ。物事を目の前のことに没頭していたら、ほとんどの悩みってないんですよ。

これを、心痛から心配に変えるっていうんですね。どうしたらいいんだろうかという悩みは心を痛めているわけで、心配っていうのは心くばりなんで。

心を痛めないで心を配りなさいと。心痛せずに心配しなさいと。明日は何時に起きて、どうやって取引したらっていうことが心配だっていうのはまだいいんですよ。ポジティブで、積極的で、努力している。努力に基づくポジティブなもんだから。心配はいいんですよ。

心痛というのは、それで、「ハー」っと心を痛めているわけ。心を痛めなさんなと。しょうがないものは諦めたらいいんだ。

より前向きな努力で解決するものは、解決すべく努力していく中での葛藤というものは常にあるわけなんで、ああしようか、こうしようか、試行錯誤、迷いはね。

迷いは素晴らしいです。ゲーテが、人間はつとめている限り迷うに決まったもんだと。努力している限り必ず迷うんだと。迷わないっていうのは努力していないっていうことなんだと。

努力すれば必ず迷いがあるわけなんで、だから迷いは素晴らしい。こうやって考えるということは、前向きな努力をするときの、ああなのか、こうなのかっていうのは素晴らしいことなんですよ。進化の、産みの苦しみですから。

記録をどう伸ばすかと練習したり、タイムをどう伸ばすかということでやっているという、一生懸命葛藤するというのは、記録は伸びていくわけなんで、その苦しみっていうのは、麗しき、ポジティブな、生かされる苦しみですよ。意味のない苦しみっていうのは心痛、わけもなく心を痛めている。

で、このひとりぼっちさんは、心を痛めているわけだよね。忙しかったら、こんなのこと考えないです。仕事に向かってガーっと輝いて、活き活きして、明るくて前向きで、一生懸命やっている人っていうのは、魅力がありますよ。

こんなこと名指しでいうのは失礼なんですけど、表(おもて)純子さんていうのは、わりかし年とって、近くで見たらすらっとしているんですよ。その表 純子のゴルフ一筋にかけているのを見て、プロポーズして、表 純子のご主人いますよ、大事にして。

不動裕理なんて50勝してるけども、私は美人じゃないから努力しなきゃいけないのよと、不動裕理がいっているらしいんですよ。

その不動裕理の生き様見て、あーこれは放っておけないということで、キャディしていた人がプロポーズして、時々、キャディしがらもめていますけども(笑)。仲のいい夫婦ですよ。

横峯さくらなんていうのは、ちょっとかわいいですけども、めちゃくちゃ勝ち気で、だけどもそれぐらいじゃないと優勝できなから、でもメンタルコーチが一筋にかけている横峯さくらがいいなということで、結婚してね。

だから、人間って、顔とか姿よりも一つのものに打ち込んでいる人っていうのは、やっぱりそれがいいなという人がですね、誠実な男性がいいな、と思ってプロポーズするし、したくなるし、結婚したくなるんですよ。そういうことが大事じゃないかと思いますね。




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2016年2月 9日 (火)

深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2016年2月5日後半 ワールドメイトブログ

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。


2016年2月5日放送分、今回のテーマは「春」。後半部分を書き取りました。


ここで、メールをご紹介いたしましょう。

------------------
ペンネーム:青春一号
21歳、学生。

こんばんは、東州さん。
青春時代って、いつまでをいうんでしょうか?
二十歳を過ぎたら、もう青春じゃないという人もいますが、
40代でも私は青春だという人もいます。
青春、なぜ青い春なんですか?
東州さん、教えてください。

----------------

これはもう、文献みてみたら、中国の五行説からきているんですね。中国の五行説では、春は青いんで、青春。夏は赤いんで、朱夏。で、秋はというと、白秋ですね。北原白秋もここからきたわけです。

白い秋、なぜ白い秋なのかというと、五行によって色分けされているからですね。

それから、冬は玄冬。冬というのは玄妙なる冬。

青春、朱夏、白秋、玄冬。玄は黒いという意味ですね。これは、五行の中での色というものを表すんで。

それ以外にもですね、春夏秋冬の、春は生じる、夏は長ずる、秋は収めて収穫の秋、冬は蔵する。エネルギーを蔵していますよね樹木は。そして春になって芽が出てくる。

漢字一文字で、昔は自然の働きを言い表しておったわけですね。自然の働き、これが人生にも、森羅万象なんでもあたったと。そういうことの五行説から青い春と。

青春時代って、いつまでをいうんですかって、「オレはいまが青春だー(笑)」って。

ところがですね、こういう歌がある「青春時代の真ん中は~♪胸にトゲさすことばかり~♪」ってね。

僕なんかはね、二度と20代なんかは戻りたいと思わないし(笑)、30代なんかは戻りたいと思わないし、40代も御免こうむりたい。50代にも戻りたくない。60代、今が一番いいと。

50代の時は50代が一番いいと思ったんですよね。40代は40代が一番いい、30代のときは30代が一番いい、20代は20代が一番いいと思った(笑)。

10代は10代が一番いいという、まあポジティブな考え方なんですけど。やっぱり、人間って年とってくると、過去を振り返ったみたらセピア色の写真のように、なんでもつらかったこと苦しかったことがいい想い出になるんですね。

だけど、僕なんかも目一杯生きてきたつもりで。私の一緒にやって来た栂村先生という弁理士さんでね、もうお亡くなりになったけどね。

「30代というのは、相当目一杯やっても、後から振り返ると、もっとやれたのにな、もっとやれたのにな、と思うもんだよ」ということを26歳で聞きまして、40代の人でね。

40、50になると、30代は相当やったつもりでも後から省みたら、もっとやれたのになと思うということは、僕もきっとそう思うなと。

というので、目一杯、死ぬほどやったけども、やっぱり40代でみたら、栂村先生がおっしゃったように、本当にもっとやれたのになと。それで、50代になったら、40代もっとやれたのになと。

60代になったら、自分を伸ばすというより責任ですね。組織の責任、お金のやりくりの責任、従業員の生活の責任、社会的責任がやっぱり重くなってくるんで。

定年退職すると責任なくなるといいますけど、私達みたいに、作ってきた人間は、定年もなければ、卒業もない、最後まで引退なくやり続ける。

芸術家っていうのは引退なんかないです、作品が命だからね。

スポーツ選手っていうのはもちろん引退はあるけど、スポーツの関わり合いっていうのはずっと続くわけでね。

結局、青春時代って、10代というのは20代からみればまだまだまだできたのに、足りなかったなあというのが青春時代で。30代になったら、20代まだまだまだ青かった、というのは未熟だった、もっとできたのになあというのが青春時代。40代からみたら30代もっとできたのに。50代からみれば、40代もっとできたのに、まだあまかったなあ、未熟だったなあ。60代からみたらまだまだ。70から見たら、たぶん60代はもっと時間がでてきたのになあと。

私の高校の、還暦を迎えたときに、我が県立鳴尾高校で、みな還暦だからっていって、同窓会やろうやろうって、行ったときに。

生徒会ばかりやっていましたけど、書道部に2年生から入って、そのときの田端先生っていうね、日展にも入ってきた先生で、「君たちね」って、テニスもやっていた先生。

「僕は76、7だけど、いろいろ振り返ってね、人生で一番いいと思ったのは、60代が一番よかった。だから君たちは還暦でこれから60代だからね、人生の一番いい時をこれからすごすんだよ」

だからやっぱり、10年前が一番よかったと思うか、未熟だったと思うんじゃないか。僕は10年単位で努力しているんですね。

40代っていうのは50代の準備で、10年かけて50代で花開き、50代で頑張ったものは60代で花開き、60代でやったものが70代で花開き、70代でやったものが80代で花開き、80代でやったものが90代で花開き、90代でやったものが100代で花開き、開かなかったらあの世で延長戦だと(笑)。

あの世で延長戦でやれなかったら、生まれ変わってやってくるんだという人生観なんで。ずっとぼくの場合は、努力、精進が続くんですけど、青春時代っていうのは、いいもんだとは思わないです。

実際に、青春時代の恋なんていうのは、トゲ刺すことばっかりで、輝いて見えますよ。よかったな、よかったなって。青春時代はよかったなっていうふうにいってる人は、もう老化して(笑)、劣化して(笑)、人生がダメになり、そんな人間はダメですよ。

だから僕は、青春時代がよかったねとか、青春時代を懐かしむとか、青春時代はああだったねと語り合っているのをみたら、こいつら本当に平凡なバカな愚かな月並みなやつらだと。

絶対にこいつ等みたいになるか、ということで、青春時代は、胸にトゲ刺すことばっかりだったんだ。今もトゲ刺しているけども、人間は生きている限りトゲ刺しっぱなしだと。
そういう意味での青春だと。青春時代を懐かしむっていうのは、適当な日々を送っていたんでしょう(笑)。

目一杯生きたらね、懐かしいことももちろんあるけども、それよりも、「ハーッ大変だった」ということばかりでね。

どうですか、東海林さん20代にかえりたいと思いますか?

「まだ、30代の方がまだいい」(東海林さん)

青春時代がいいっていうんだけど、未来がどうなっていくんだろうか、自分の将来はどうなっていくんだろうか。ただいいのは、健康だっていうだけですね。でも、20代で病気の人もいるからね。

いつもいうんだけども、青春時代っていうのは、星空が輝くようなものでね。可能性のランプという、要するに自分で夜空にかけていくんだ。

夢というものは、あるとかないじゃない、作るか作らないか。可能性というのは、あるとかないじゃない、作るか作らないか。時間というのは、あるとかないじゃない、作るか作らないか。カネというのは、あるとかないじゃない、作るか作らないか。

カネも時間も作るか作らないか。夢もあるかないかじゃない、作るか作らないか。

未熟なるがゆえに、まだまだこれから頑張っていこうという希望があるわけですよ。未来がわかんないから不安で葛藤してね、社会的に確立していないから苦しいことも多いですよ。

でも、夢を持って、可能性を信じて、健康で何でも食べて、ぐっすり寝て。もう、グーグーグーグー寝ていますよ若い子は(笑)。20代、30代。

そういう意味で、「心はオレはいつも若いんだよ」っていう、平べったい意味で今が青春だというんだけども、私は本当の意味において、未熟で足りないなと思いながら、自分で夢と希望を作って、トゲ刺すことばっかりやりながら、これでいいと。

そういう意味における青春を続けている限り、自分は進化している。進化してきて伸びているから、後で振り返ればもっとできたのにと思うんだけども、普通の人の何倍も何十倍も有意義な人生を送っているんで。

有意義な人生を送ろうと思ったら、青春というものは、葛藤と苦しみと未熟さと足りなさの反省のなかで、胸にトゲ刺すことばっかりのものを、真っ正面から見て、こんなものに負けてたまるかと思って、星空にランプをかけ続けているその血と涙と汗の葛藤の、それを続けていくことが尊いと。その青春こそが尊いんだと。人の何倍も素晴らしい人生を送る、本当の青春じゃないかと。

後から思い出していい想い出の青春というのは、いかにも浅い、たいしたことない人生、平凡な人生、月並みなことをやる月並みな人間が、平凡に生きている普通の人間が考えることなんで。

私は、まあ平凡な幸せ喜びっていうのはありますけども、それは非凡を極めた人が感じるわけなんで、非凡なことが何もできなくて平凡っていうのは、普通というだけのことですから。

それは、快速とか、特急とか、新幹線に乗っている人間は、各駅停車の人生っていうんですよ。まあ駅を楽しんでいるかもしれないけどね。

一生のうちに行った距離というのは、ちょっとしか電車走れないじゃないですか。どんな人生を送るんか、どんな価値観で生きているのかと考えたときに、青春というのもそんな、この質問にあるみたいに、気持ちはわかるけどね。「オレは今青春だ」なんていうのは、あまりにも浅くて、あまりにも平べったくて、あまりにも平凡で、普通の人間ですよ。

青春というのは、青くて春。春はね、「ふと、もの憂くなりぬ」っていうね。春のよさっていうのは三寒四温ですから。

春は、目覚めてくるんですけども、なぜ青いかというとですよ、三寒四温、胸のうずきがあるわけですよ。

春というものは明るくてうきうきして、芽吹くし、動物たちは盛っちゃうんですけどね。人間も盛っちゃいますけどね(笑)。

でも、春は、ふともの憂くなりぬ。もの憂いというのはですね、人々がさんざめくコミュニティの中に、ふと入っていけない自分というのがいる。

これ孤独というんですけど、自我の目覚めなんです。おとうさんおかあさんが仲よくしている中に、ふとそこに入っていけない自分、これが青春の春。

みんな賑々しくワーッと楽しく楽しくしている、その友達の中に、ふと入っていけない自分っていうのは、春なんだけども、もの憂さがある、これは自我の目覚めです。自我が目覚めてくるから、そういう明るい楽しいところに入っていけない自分というのが、本当は大人のはじまりなんですよ。

だから、本当の春というのは、明るくて楽しくて芽生えていくんじゃなくて、もの憂い、葛藤と苦しみとね、もだえと産みの苦しみっていうのがあるのが本当の春ですよ。

三寒四温です。四日温かいけども、三日は寒いんですよ。この春っていうのが素晴らしいじゃないかと。

というふうに、同じ春でもですね、もうちょっと文学的、哲学的に深く考えてですね、生きて欲しいなと。

これが私の、青春に関していつも思うことであります。




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2016年2月 7日 (日)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2016年2月5日前半

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。


2016年2月5日放送分、今回のテーマは「春」。前半部分を書き取りました。


今週のテーマは「春」です。
「もうすぐ春ですね~♪」というのとね、「春がき~た♪、春がき~た♪」とかね、春の歌いっぱいありまして、私も小っちゃいときは、はるちゃん、はるちゃん、と呼ばれてまして。「はる」と呼ばれると私の名前を呼ばれているようで(笑)。

小学校のテストに、「雪がとけると何になりますか」という問題が出ました。理科のテストですね、正解は水なんですけども、珍回答というのがあってね。答え、「春です」と。
これはなかなか文学的な素晴らしい答えなんで、こういう感性は大事にしたいですね。そのときに先生が、「いや、春じゃない、水ですよ」っていったら、本当にこの先生は理科の先生だけど文学がないよね(笑)。

理科では、水なんだけどね、文学では春だったりね、想い出だったりするよね、っていって。その感性は大事だよね。それは国語の時間に言おうね、でも大事だよっていって。「はい」とかっていっている先生ならいいですよね。

暦の上では春ですが、まだまだ寒い日が続きますねなんて、一体この慣用表現を、どれだけラジオとか、テレビとか、新聞とかでいうか。

「うん、暦の上ではまだ春だね」っていうと、「うんこ、よみでは春ですね」っていうのは、これは鹿のうんこなのか、牛のうんこなのか、犬のうんこなのかって。

この間、ミシマゴルフクラブ行ってきて、鹿がいっぱいいましてね、丸まるのコロコロうんこがあって、なんで、鹿のうんこは丸くてコロコロしているんかなということで、私もほんとうに、うんこ読みしましたね(笑)。

まあ、暦の上では春ですが、まだまだ寒い日がある、っていうんですけどね。立春が過ぎまして、節分の次の日は立春なんですよ、忙しいこと(笑)。節分が終ったらすぐ立春ですから。

春が立つって、春って、立ったり寝転がったりするもんなのかと考えて、立春、立春といいますけど、年をとってくると、もう我々は春が立たなくなってきますからね(笑)。

ここまでは、放送コードでOKということなんで、まあ、ギリギリのラインというんで、ターミネータと「しーもねーた」(笑)というのは、男にとっては大きな味方ですよね。
暦の上では春ですが、まだまだ寒い日がっていうのは、放送作家はね、「地球の温暖化でずれているんじゃないですか、春はもう少し先」っていうんですよ。

放送作家の東海林桂さん(笑)、こんなものはね。「こんばんは」って。

これはね、放送作家のいうようないわゆる普通のことですよ。ところがそうじゃないんですよ、12月22日は冬至ですけども、一年中で一番夜が長い時なんですけど、これ「陰極まりて陽」で、そのときに「一陽来復」というのが来るんです。

「一陽来復」というのは、坤の卦と乾の卦の二つがあってね、坤の卦に一、二、三、乾の卦に一、二、三、六つの爻(こう)という、これが入れ替わっていってですね、易経のいまの状態をみるわけです。

ですから、「陰極まりて陽」というと、六つの、乾も陰、坤も陰で、パッと陽が出てくるんです。この陽が「一陽来復」。一陽が復(かえ)ってくると、これが冬至で、「一陽来復」っていうのは、12月22日の、実はその時に春が始まっているんです。

ただ、春は始まっているんだけども、目に見えないところで、春は始まっている。

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」かね。

だから、目には見えなくても、風の音に秋は来ているんだと、そういうことなんで。それが日本人の季節感なんで、

実は、ですから春というのは、12月22日の冬の一番寒いときに、春の目覚めの一陽が出てくる。それがだんだんだんだん暖まってきて、3月、4月になったときに、体で実感する春が来ると。

ですから、本当の春は12月22日から始まっているというのが、こういう五行のところとか、古代の人の考え方がでてくるわけですね。

ですから、暦の上では春というのは、実は暦の上からほんとうは目に見えない微かなる春が始まっているんですよ。

そういうふうに考えず、「暦の上では春ですが、まだまだ寒い日が続く」(笑)。

そう、一番寒いときに春が始まるんですよ。だから本当は、「一陽来復」の12月22日冬至ですね。一番一年で夜が長い、その時こそ、陰極まりて陽が出てくる。これが春の始まりです。

だから、陰の始まりは夏至です。6月22日、最も日が長いときの、乾も坤も陽、陽になったときに、極まってパッと陰が出てくる。この時から実は、秋や冬が始まっているんですね。

こういう、陰極まりて陽、陽極まりて陰、という陰陽五行説のものの考え方の中に、節気という、それぞれのけじめけじめの二十四節があります。そういうようになっているんです。

だから、立春というのは、実は本当に節分のときから目に見えない一陽の春が、目に見えない神なる部分の春がこの時から始まっているんですよということなんで。

寒いとか寒くないとか(笑)、肉体で感じるような春というものは、いかにもそういう歴史と五行説を知らない放送作家がいうことなんです(笑)。

だから、暦の上では春ですが、本当の春はもう始まっている。自分たちが実感する春はまだまだ先ですけどね、っていうふうにいうのがほんとうなんです、これがね。

そんなこというと話題にならないんで(笑)。

また、テレビでもラジオでも新聞でも雑誌でも、「暦の上では春ですが、まだまだ寒い日・・・」(笑)。一体この慣用表現ね、紋切り型の。

まあ、そういうことなんで、立春というのは、そういうかたちで。立春になっても我々六十を過ぎますと、春は立たない(笑)。

ということで(笑)、そこにばっかりいっちゃいかんので(笑)。では、今日という日が終る時間まで、おつき合いいただきますように、お願いいたします、どうも。

「なんで、そこに戻るんですか(笑)」(東海林さん)

「そこに戻りたくなるんで(笑)」

-----------(CM)

まああの、立春立春って、どうしてそこに戻るんですかと、放送作家の東海林さんと話が続きましたが、春を探すということで、花粉の世界ではすでに春がやって来ているんで。
花粉症に敏感な人は、すでに鼻とか目にきていたり、受験生の中には、春が来ている人もいれば、春が通り過ぎていった人もいますね。

私なんかも受験時代は、本当に苦労して。3月18日生まれなんで、その頃は試験発表があったときでね、国立大学でね。何回、桜が散ったかね。

その時に、兵庫県西宮市の夙川(しゅくがわ)という川べりでおったもんですから。そこが桜の名所でしてね。夙川っていうのは4月の上旬くらいに咲くんですけどね。

試験発表があったころというのは、まだ芽が出てきた頃で、ああ、桜が咲こうとしているのに、僕は落ちて、桜が散ってばっかりだなあ、といって桜の木をさわったというのが、青春時代の苦い想い出ですけどね。

だから、受験生のことを誰よりもわかるし、受験生のために、ずっと、今も38年間予備校の校長してますよ、みすず学苑で。

「サクラサク」とか「サクラチル」とか、なかなかいい表現ですけども、本当は苦労、努力してやるから、梅が咲く、梅が散るといって欲しいんですけどね。

苦労努力して、冬の一番寒いときに咲くのが梅ですからね。




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2016年2月 1日 (月)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2016年1月29日後半

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。


2016年1月29日放送分、今回のテーマは「雪景色」。後半部分を書き取りました。


今週もたくさんのメールをいただいまして、ありがとうございます。
後半は、メールをご紹介いたしましょうね。

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大阪府、50代、女性、会社員。

鏡餅のお供えについてお聞きします。
2月3日は、節分で、旧のお正月です。我が家ではお正月同様、鏡餅をお供えしていますが、そのお供えをする日なんですが、2月3日にお供えすればいいのでしょうか。それとも、前日からお供えすればいいのでしょうか。おもちを下げるタイミングはいつなんでしょうか。いつも適当に5日間ぐらいお供えしているんですが、正式にはいつなんでしょうか、教えてください。

また、お正月の鏡餅を28日、30日、人によっては1日にお供えするという人もいます。本当のところはどうなんでしょうか。また、その意味を教えていただきたい。よろしくお願いいたします。
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という質問なんですけどね。結論からいいますとね、地方によって全部違うんですね。鏡餅っていうのは、どこから来るかというと。

えー、日本人はね、お正月というのが、古来から2回あったんですね。夏のほうの正月と、冬のほうの正月があって。お正月の前に大晦日があって、みそぎ祓いして、お正月を迎えますでしょう。

そして、歳神(としがみ)様が来ると。日本ではね。要するに、歳神様が来るということは、古来の人は、時間も歳をとると考えていた。

時間がどんどん歳をとっていって、みそぎ祓いして、お正月には新たなる歳が来る。歳神様という神様が来るという。

これ、歳神(さいじん)、大歳神とかという気学、気学の元になる奇門遁甲法。奇門遁甲法の八宮というのと干支学をミックスしてつくったメイドインジャパンの占いが気学なんです。

この歳神(さいじん)がどこに廻っているかということで、大歳とかでるんですけど。まあそういうふうな、陰陽五行のアレによって、歳神(としがみ)様がお正月にやってくると。

だから、歳神(としがみ)というのは、時間が歳をとって、新しい歳が来る。年末にみそぎ祓いをして新しい歳、元旦は若水(わかみず)というんで、前にもいったと思うんですけど。

家の家長、長男が朝一番の元旦の6時の水を湧水ですね、これを飲むと。それを若い水と書いて、新しく蘇った時間のエネルギーを吸収する。いわば、歳神様のエネルギーを吸収して若返ると。

そして、家も若返って蘇っていくというのが、古来からある正月の儀式だったんです。お鏡というのは、要するに、神様がおかかりになる依代(よりしろ)ですね。

神社に、こういうシデがありますけど、シデというのはお榊に白い紙をね。あれは神様の衣装を表わすんですね。

で、お榊にやったり、あるいはまた松ですね。松の枝に紙のシデをやって、そこに神様を、霊を招霊すると、これを依代という。

これは、能舞台に常に真ん中に松がありますでしょう。これ影向の松(ようごうのまつ)といいますけど、影向は「かげ」「むかう」と。

影はシャドウじゃなくって、光のことを影といったんですね。影には二つ意味がある、シャドウというのと、光という意味。

影向の松というのは、松に神様がおかかりになって、その前でお能を演ずるというんで、能舞台には必ず松が描かれていますでしょ。

これは神社も松が依代となっていくので、ご神木とかいうのはそういう発想です。そういう風なのがあって、依代としてお鏡に、ああいう丸い光り輝く、神様の神魂、御魂ですね。鏡みたいにピカピカ光っていると。それがここに降りてくると。

そういう意味で、鏡餅っていうのは、おもちの上に。まあ、食べ物でお鏡の形したので、お正月の間、元旦に来た歳神様、新たなる蘇った時間の神様がおかかりになって、鏡と同時に食べ物にも、神様がおかかりになる依代として鏡餅をつくったんです。

その上に、だいだいを置く。代々(だいだい)続いていくと。

家長が若水を飲み、その家に来るというんでですね、お正月は。

「人は祖に基づき、祖は神に基づき」という神道の言葉があって、人間はご先祖様によって我々がいると、そのご先祖様は神様から来ているんだと。

「人は祖に基づき、祖は神に基づき」というのが、日本人の基本的考え方。それは、お正月に歳神様も来るけど、ご先祖様も来るんだと。

神様とご先祖様をお迎えするので、門松(かどまつ)。門で待つから門松なんですよ。それで、依代としておもちにおかかりになって、だいだい続いていく、というのが「だいだい」。ミカンみたいなのを飾る、あれがだいだいです。

昆布は、よろこんぶ。そういうものをお飾りして、そこに神様とご先祖様が来て、家々がずうっと代々繁栄して、神様の御守護とご先祖様のおかげでいく。そういう儀式だったんですね。

その間ずうっと、家々が語り合いながらという、神様とご先祖様を中心にファミリーが、去年を振り返って、我々どうでなきゃいかんかね。

お父さん、私はこうしようと思うんだ。お前はどうなんだ。僕はこうしよう。お母さん、お前はどうなんだ。おばあちゃん。私は今年一年はこうしようと思うんだ。

ということをお話しして。まあ11日が鏡開き、それで神様とご先祖様、息吹を受けたおもちをね、11日に。1、1、1ですよね。1月11日に鏡開きでおもち割って。

だいたい僕らの頃の思い出は、カビが生えているのを削りながら、水に入れてふかして、こうカビを取りながら、雑炊を作って食べていたというのが。

1月11日が鏡開きで、おそらくご先祖様もおるんで、14日、一緒に食べて、先祖と、鏡開きで。話はちょっと横道にそれすぎちゃってるんですけどね。

節分というのはですね、実は旧暦っていうのが、2月4日なんですけども、今年は2月の7日から8日が太陰暦のお正月なんですよ。

だからお正月っていうのは、日本人も、中国人も、ユダヤ人も決まってないいんですね。太陰暦の暦によって、今年は2月の7日から8日くらいがお正月なんですね。

香港とか中国行くと、お正月シーズンは混むんですけど、年によって違うんですよ。日本は太陽暦でいうのは1月1日ですけど、太陰暦はだいたいそのあたりなんですけど(笑)、あたりっていうとアレだからね。

2月4日が節分というふうに決めてて、これは陰陽五行説の中で出ている節変わりが、だいたい2月3日か4日なんです。

ところが太陰暦というものと、五行説というのは若干違うんです。だから日本の節分は2月3日で、これが旧正月なんです。

中国人とユダヤ人は、その年その年の太陰暦の暦見ていますから、変動するんです。これが違うんですけどね。

旧正月の頃は、太陰暦の頃の名残ですけども、節分というのが本当のお正月ですね。でもどちらもあっていいんじゃないかと。

ということでですね、いつお供えするかというと、いつだっていいんです。だいたい、その前に大晦日、30日とか31日とか地方によって違うので、お正月に飾るのではなく、年末に飾ってお正月を迎える。

そして、元旦に神様をお招きする。お鏡としての依代ですからね。元旦までにお供えするのが原則ですね。


今週の放送はいかがでしたでしょうか。まあ30分なんで、編集する方も大変ですけども(笑)、毎回毎回、3週間分ぐらい話するんですよね。いろんな知識が、なぜかなぜかと思っていつも勉強するものですから、興味と関心がね、そうさせるんですよ。

ですから皆さんも、この番組で、興味と関心を共有していただけると思います。あなたの感想とか質問、ちょっとした悩み、疑問、自慢、変なクセ、思わず笑ってしまった話など、なんでもメールしてください。


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