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2016年2月13日 (土)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2016年2月12日前半 ワールドメイトブログ

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。


2016年2月12日放送分、今回のテーマは「告白」。前半部分を書き取りました。


こんばんは、深見東州です。
ぜんぶ私の話っていうとね、私がもし入れ歯だったら、取ったら、ぜんぶ私の歯無し(笑)。
毎週金曜日のこの時間、30分という短い時間ですが、私とあなたをつなぎながら、お話ししましょう。なんでつなぐのか、なんでね、義理でつなぐのが(笑)、義理チョコじゃないんだけど、義理ラジオですね(笑)。
今週のテーマは「告白」です。
なぜかというと、今週の日曜日はね、バレンタインデーなんですよね。しかし、今年のバレンタインは日曜日なんで、会社がお休みだから、上司に、あるいは会社の同僚に義理チョコしなくていいから、助かっているというOLの声も多いようですよ。

本来は、チョコレートプレゼントして愛の告白を、女性のほうからいいにくいからね、で、このときは女のほうからチョコレートをあげて、好きなんですという。男はどんどん告白するけど、女性のほうからなかなか堂々と告白できるチャンスっていうのがなかったのが、まあそういうのが本来いいところだったんでしょうけどねえ。

今は全然、時代とともに意義も変わり、みんなの意識も変わってきました。昨年のバレンタインでですね、誰にプレゼントしたかっていう、統計と調査をしましたね。最も多かったのが友達でした。

すなわち、友チョコっていうのが一番ですね。この他にも、義理チョコとか、いろんなチョコがありますね。

僕なんかだったら、なんでもこっそりと見るのが、アンチョコとか(笑)、それからヘナチョコみたいな男がいっぱいいますから、「チョコレートが好きなんだー」とか・・・、ヘナチョコというんですけどね。えー、告白とはまったく関係ないように思うかもしれません。最近は、恋人がいないっていう人が多いんですけど、それはもう、告白へただからですね。

さて、皆さんが食べる日曜日のチョコレートは、ビターはチョコなのか、スイートなチョコなのかということなんですけどね。

さー、チョコレートに関して、告白ということのテーマで、今日はお話ししたいなと思います。今日という日が終るまでおつき合いくださいませ。

(CM)

東州さんのバレンタインの想い出はとか、告白した経験とか、告白された経験とか。恋の告白もあるけど、悪事の告白は懺悔ですよねって。

いずれにしろ、自分の秘密を白日の下にさらす、カミングアウトともいうっていう、こういうことで話ししてください。ってこの放送作家の東海林さんがいうんですけどね。そんな放送作家にいわれたとおりなんかに、話しなんかするもんかい(笑)。

その前にですね、まずお便りから紹介しましょう。

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ペンネーム:ひとりぼっちのOL
20代の会社員。

故郷の徳島から大学進学のために東京に出てきて、もう10年経ちました。
大学を卒業後も、東京で就職しました。
社会人生活も6年が過ぎ、毎日のルーティンの繰り返し、ひとり暮らしに慣れてしまうと、ラーメンを作った後、その鍋で食べるのを慣れてしまった。
このまま、ひとりぼっちなのかなと思うと、ちょっと寂しいです。
ひとりぼっちと口の中でつぶやいていて、「ぼっち」って何とか思っちゃって、
「ひとり墓地」とか思っちゃって、お墓もひとりの墓地、そんな私にもっとも嫌いなバレンタインデーがやってくる。
出会いって、どこにあるんでしょうか。
私のひとりぼっちを解消するためには、どうしたらよいのでしょうか。

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ひとりぼっちの「ぼっち」って何かというのは、まあ、墓地じゃないんですけどね。法師と書くんですね。「ほうし」、お坊さんのことですね。法律の法に師匠の師。法師がぼっちになったんですね。

ひとりぼっちっていうのは、ひとり法師のことで、要するに、どこの宗派にも属さないお坊さんのことを、ひとりぼっちっていう。ひとり法師ですね。そこから、この言葉ができたといわれているんです。

お坊さんは、どこの宗派にも属さないけど、仏道を成就し、仏様のために生きているんで、お坊さんの法師は寂しくないですよ。仏様とともにあり、自らの仏性を発揮し、仏様とともに生きているつもりですから、本当の意味での「ひとりぼっち」は寂しくない。仏とともにあるわけで。

そのためにひとりでいるわけですから、出家するとか、僧侶であるということはそういうことですから。

僕ね、NHKで見たんですね、こういう番組ね。あの、無縁の世の中とか、無縁社会とかって。煙のない社会じゃないですけどね(笑)。ドルばっかりで、円がないという意味じゃないですけどね(笑)。

そうするとその、出てきたおばさんが、質問とか討論やっているんですね。自分というものの価値を認めてくれない社会と。自分を必要としてくれてない社会という若者がいて。
そしたらその、自分というものを必要としない、必要とされてない、自分というものは生きている価値がないんじゃないか。自分を必要としない社会だ、なんていったら。

そうするとおばさんがね、何いっているんですかあなたは、自分が必要とされるかどうのこうのよりも、もっと積極的に社会に出て、必要とされるだけの能力と実力を磨けばね、みんな必要とされるのよって(笑)。

僕を必要とされるかどうのこうのいうまがあったら、自分を磨いて、実力磨いて、必要とされるような能力、才能、職能力をみがけばいいじゃないの。そしたらその能力の分だけ必要とされるんで。必要とされているかされていないかじゃなく、自分のほうから社会の中に飛び込んで社会で有用な人間になるのに、なぜ能力と才能を磨いて努力しないのよっていって、そのおばさんが喝をいれているのね。その通りですわね。

だいたいね、私からいわせると、こういうようなことを、ひとりぼっちで何なのかとか、社会人でルーティンワークの繰り返しとか、あー、出会いってどうなのかという悩みね。
99.9%なぜこの悩みが起きてくるかというのは、結論は決まっているんですよ。

暇だからです(笑)。

「小人閑居して不善を為す」というんですけど、ある人が禅のお坊さんに聞きました。私っていろいろと悩み事があって、仕事が手につかないんです。どうすれば、仕事が手につくようになりますかねっていって、禅のお坊さんに相談したら、

「ああそうか」、こたえは一つだと。悩み事がないぐらい仕事しろと(笑)。悩む間がないぐらい仕事しろと。目の前のねばならない仕事に没頭してないからこそ、悩み事が起きてくるんだと。

悩む間がないぐらい仕事しろというのが答えです。

だいたい、悩み事とか相談事というのは、私は悩みを3種類に分けてるんですね。まず、努力して解決する悩み。それから、もうしばらくおいておいたほうがいいという、ペンディングにする、すると解決する悩み。それから、解決しないという悩みね、男に生まれたかったのに、女だとか。まあ性同一性なんとかに登録すればいいんですけどね。それは誰でも欲すればいいわけじゃない。

身長2mになりたかったのに、180cmしかないんだっていう、バスケットボール、なんで私は2mじゃないのとか。

なんでもっと美人にっていうのは、整形がありますけど。もっと不細工に生まれたかった、まあ整形でぐちゃぐちゃにやればできるんだけども(笑)。

そういう、男に生まれた、女に生まれた、アメリカ人で生まれたかったのにとか、黒人だったら運動神経があってスポーツ選手で、筋肉あるのに、日本人だから胴長足短かで。アスリートとしては、黒人のお父さんのほうが、オコエとかあのね、優秀なのが多いから、運動機能が違うからね。なんで私のお父さんはね、アフリカじゃなかったのかしらなんて、昔じゃ考えられないようなことを考えたり。

そういうどこの国に生まれるとか、女に生まれる、男に生まれるとか、どの時代に生まれるとか、どんなお父さんお母さんに産まれるか、どの地域に生まれるかっていうのは、本当は魂の奥で選んでいるんだろうけども、生まれたときはわかんないですよね。

私はなぜ、スペイン人じゃないでしょうかといわれても(笑)、そんなもんは悩んでもしょうがない、解決できない問題ですよ。

こういうお父さん、こういうお母さん、こんな息子ができたというのは、お父さん変えられないわけなんで、それは考えてもしょうがない、諦めるしかない。

それをより良くどう受け取っていくのか、障がい者でもそうですね。努力して解決できる障がいもあれば、もうしばらくすれば解決する場合もあれば、努力を超えた、障がいのある子供が生まれたときにはそれをどう受容して、乗り越えていくのかに意味があるわけなんで。

世の中には、解決できない問題は、解決できないというふうに解決しなければいけないんです。もうちょっと待つという解決と、努力して解決するというふうに3種類なんでね。
努力しても解決できないものは、解決できないということで、忘れて、違うところに没頭したらいいわけですよ。物事を目の前のことに没頭していたら、ほとんどの悩みってないんですよ。

これを、心痛から心配に変えるっていうんですね。どうしたらいいんだろうかという悩みは心を痛めているわけで、心配っていうのは心くばりなんで。

心を痛めないで心を配りなさいと。心痛せずに心配しなさいと。明日は何時に起きて、どうやって取引したらっていうことが心配だっていうのはまだいいんですよ。ポジティブで、積極的で、努力している。努力に基づくポジティブなもんだから。心配はいいんですよ。

心痛というのは、それで、「ハー」っと心を痛めているわけ。心を痛めなさんなと。しょうがないものは諦めたらいいんだ。

より前向きな努力で解決するものは、解決すべく努力していく中での葛藤というものは常にあるわけなんで、ああしようか、こうしようか、試行錯誤、迷いはね。

迷いは素晴らしいです。ゲーテが、人間はつとめている限り迷うに決まったもんだと。努力している限り必ず迷うんだと。迷わないっていうのは努力していないっていうことなんだと。

努力すれば必ず迷いがあるわけなんで、だから迷いは素晴らしい。こうやって考えるということは、前向きな努力をするときの、ああなのか、こうなのかっていうのは素晴らしいことなんですよ。進化の、産みの苦しみですから。

記録をどう伸ばすかと練習したり、タイムをどう伸ばすかということでやっているという、一生懸命葛藤するというのは、記録は伸びていくわけなんで、その苦しみっていうのは、麗しき、ポジティブな、生かされる苦しみですよ。意味のない苦しみっていうのは心痛、わけもなく心を痛めている。

で、このひとりぼっちさんは、心を痛めているわけだよね。忙しかったら、こんなのこと考えないです。仕事に向かってガーっと輝いて、活き活きして、明るくて前向きで、一生懸命やっている人っていうのは、魅力がありますよ。

こんなこと名指しでいうのは失礼なんですけど、表(おもて)純子さんていうのは、わりかし年とって、近くで見たらすらっとしているんですよ。その表 純子のゴルフ一筋にかけているのを見て、プロポーズして、表 純子のご主人いますよ、大事にして。

不動裕理なんて50勝してるけども、私は美人じゃないから努力しなきゃいけないのよと、不動裕理がいっているらしいんですよ。

その不動裕理の生き様見て、あーこれは放っておけないということで、キャディしていた人がプロポーズして、時々、キャディしがらもめていますけども(笑)。仲のいい夫婦ですよ。

横峯さくらなんていうのは、ちょっとかわいいですけども、めちゃくちゃ勝ち気で、だけどもそれぐらいじゃないと優勝できなから、でもメンタルコーチが一筋にかけている横峯さくらがいいなということで、結婚してね。

だから、人間って、顔とか姿よりも一つのものに打ち込んでいる人っていうのは、やっぱりそれがいいなという人がですね、誠実な男性がいいな、と思ってプロポーズするし、したくなるし、結婚したくなるんですよ。そういうことが大事じゃないかと思いますね。




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