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2016年1月 4日 (月)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2016年1月1日前半

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。

2016年1月1日放送分、今回のテーマは「お正月」。前半部分を書き取りました。


はあー、臀部がほんとに、凝ってきていました。
全部と臀部というのは違うんですけど、これ和歌山に行くと「ぜ」と「で」が同じでね、前にもいいましたっけ。

「ぜんぜんわからないよ」は「でんでんわからないよ」。
「おぜんをかたづけるのが、ぜんぜんできません」は「おでんかたづけるのが、でんでんできません」とかね。

和歌山では「ぜ」と「で」が同じですので、関東では「ひ」と「し」が同じで、江戸っ子は「ひのまるのはたが、ひらひらとひらめいてる」は「しのまるのはたが、しらしらとしらめいてる」というんで。

あけましておめでとうございます。
深見東州でございます。

この番組がスタートして、今夜で11回目。そして今日は1月1日。「1」という字に囲まれました番組でございます。

ときどき笑い声が聞こえますのは、東海林さんといいまして、障子の奥からピッと見てて、東海林です。漢字は違うんだけど。

2016年、平成28年がスタートしました。昔から「一年の計は元旦にあり」などと申しますが、目標を立てるのも今日がよいようでございまして。

「一年の計は元旦にあり」を間違えて覚えている人もいます。元旦にあったことがその年の運命を決める、これは間違いでございます。

今日は、いろいろな間違いを正そうという、この正す月が正月でございますので、それでは今夜も30分という短い時間ですけれども、私とあなたをつなぎとめるお話しをしましょう。

今週のテーマは「お正月」です。お正月にまつわることをいろいろとお話ししますよ。
では今日という日が終るときまでおつき合いくださいませ。

それでは、いろいろなお正月のお話ししたいと思うんですがねえ。今日はなぜ門松たてるのか、お年玉もらえるのか、松の内とは何か、韓国や中国ではなぜ旧正月のほうが盛大なのか、ということをいってくれと、この放送作家の東海林さんがいっていますが、なるべく放送作家の期待しないことを答えたいと思うんでね。

お正月というものを、ラジオの人たちの資料とは違う、もっと私が深く調べたらですね、ユダヤ教とそっくりなんです。

神道というものは世界の宗教の中で、どの宗教に一番似ているかというと、ユダヤ教に一番似ているんです。

ユダヤ教のラビのイスラエル・ラオという人がですね、石清水八幡宮で行われました世界宗教者会議に来たときにですね、ヘブライ語で読んだバイブル、旧約聖書というものみてね、一番ユダヤ教に近い宗教とは、世界で見たら神道が一番近いといったわけですよ。

というのは、お正月が2回あるんですよ、ユダヤ教にはね。それが易経でいうと、隠遁と陽遁の切れ目、6月22日と12月22日なんですけども、旧暦でですね、年に2回あったわけです。

そして、お正月の前は夏のほうは、夏越しの大祓の御祭りっていうんで、夏のお祓いがあって、夏のお正月を迎えると。

冬のほうはですね、大晦日にですね、これが年越しの大祓というんで、みそぎをすると、そして新年をお迎えすると。

そういうので、神道は夏越しの大祓の御祭りと、年越しの大祓の御祭りというんで、あるんでですね、年越しするときには大晦日はみな大掃除するわけですよ。

そして、年に2回あったお正月と大晦日が、仏教が入ってきたときに538年と552年と、仏教公伝が二つありますけど、いったいこの仏教が入ってきたときに、今まで我々のやっていたものはどういうふうにいえばいいんだというんで、そのときに神道という言葉をつくったわけですよ。

中国人にきくと、神道というとお墓に至る道とか、位牌のことを神道というんです。神道というのを今までのものを総体して全部、だから教えじゃなく神の道といったのは、特に歴史はあっても教えというのはなかったからね。歴史があっただけのことですよ、古事記、日本書紀。

それでですね、聖徳太子さんのときに仏説のですね、親孝行したお母さんがあの世で苦しんでいるために、これを助けるためにといって、仏説の盂蘭盆会の説っていうのが、仏説というのが中国経由のものですね。

で、夏のほうは仏教と結びついた。これ聖徳太子がやったんです。盂蘭盆会の説というものを聖徳太子さんが、夏の大祓のときを仏教に習合させて、お正月はそのまま残したわけですよ。

そして、お釈迦様の誕生日っていうのは灌仏会(かんぶつえ)っていうんですけど、4月8日をお釈迦さんの誕生日とするっていうのは、聖徳太子が決めたんですから。

夏はご先祖さまを大事にする供養をするときだって決めたのは聖徳太子です。その時から今のお盆と仏教が結びついたわけです。

神・儒・仏 使い分けしたんで、結局、仏教を日本に定着させようと思ったら、日本人がずっと思っている先祖信仰、ご先祖さまを敬うという先祖崇拝に結びつけなきければ、仏教は定着しないな、ということを予感したんでしょう。

日本人の古来から持っている、ご先祖さまに対する信仰と結びつけたのが仏説の中に盂蘭盆会の説があったわけなんで、それを採用してお盆ができたわけです。今の盆踊りっていうのは、一遍上人が先祖供養のためにやっているので、盆踊りのルーツは一遍上人の踊り念仏ですね。

しかし、お正月というものは、古来からあるものを聖徳太子さんが残したものなわけですよ。ですから、昔は夏もお正月だったわけです。

お正月の元旦はどういうものかといいますと、どう考えてもユダヤ教とそっくりなんです。ユダヤ人と会いましてですね、オーストラリアのパースのラビの家に招かれてね。

金曜日は、「シャバット・シャローム」というみんなが仕事せずに安息日で、家族団らんとなっていくんだと。他のユダヤ人の家に行っても帽子をかぶってお祈りする、1、2分で終るんですよ。

ラビの家ですから。行ったらね、ロシアのコサック兵みたいな帽子かぶってね、なんかこう、同時にパイプみたいにして、お祈りしながら、ワインがつがれてね。

それで、戸を開けると水道があってね、「ああ、ちょっと手を洗うのにも作法があるんだ」っていってね。「左、右、左というふうに洗うんだ」と。

「えー、日本も神社行くときに、手水で洗うときは、左、右、左というふうに洗うんですよ」

「えー、そうなのか」

それで、ラビがいうわけですよ、「キミね、ユダヤ人にとって、お正月というものは、普通のキリスト教の信者とか、イスラム教の信者とか、あるいはそれ以外の人とはぜんぜん違う」

「ユダヤ人にとってのお正月というものはね、ハッピーニューイヤーじゃないんですよ。神さまがやってくる、同時に先祖がやってくる。そして、神さまと先祖とえらぎながらですね、去年の一年を反省して、今年の一年間どういうふうにすごせばいいのか、神さまとご先祖さまと家族が厳粛な儀式をして、今年の一年間をどういうふうに生きるのかということを家族が話し合い、自分の一年の計を立てる」

「そういうのがお正月なんだ。だから、ハッピーニューイヤーというようなキリスト教と違うんですよ」

とラビがいったの。で驚いて、「日本人も同じですよ」と。

キリスト教とかイスラム教とかという一神教は、この現実界が厳しいから、この現実界のことで希望をもたず、死んでからあの世の涅槃寂静をみる。

イスラム教もそうです。厳しいいんで、ラマダンを一生懸命やって、そして徳を積んだ人は、天国へ行くといろいろな美人がもてなしてくれて。

ところが、ユダヤ教と神道は違うんですよ。神の祝福というものは、生業がが栄えていき、家が栄えていき、コミュニティが栄えていく。

アブラハムが息子を殺そうと、神さまの啓示で連れて行って、神を選ぶのか、子供を選ぶのかという選択をやったとき。

神を選びますといって、ナイフで子供を殺そうとしたときに、神が現れて、「アブラハムよ、神は試しただけだ、子供を殺すな。殺さなくていい、お前は、子供よりも神の道を選んだ。神試しだから、子供は殺さなくていいぞ。お前の誠を試したんだ」

「お前は神の道を選んだということで、アブラハムの家は代々栄えていくだろう」

神の祝福は、魂とか内面じゃなくて、ユダヤ教では、家が栄えていく、代々栄えていくというのが、神の祝福なんですよ。

だから、日本の神道とユダヤ教だけがですよ、神の祝福は生業が栄えていき、

「生業(なりわい)緩むことなく、家門(いえかど)高く富み栄え、いかしやくわえのごとく、うまはり栄えていく」という祝詞。

生業、仕事がうまくいって、家が栄えて、いかしやくわえのごとく、桑の葉っぱが繁茂していくように家が栄えていく。子孫が栄えていく、そしてコミュニティが、社会が栄えていく。

これがユダヤ教と神道の神の恵みは現実界の繁栄となって現れてくるわけです。このあたりが、キリスト教とイスラム教と仏教と大いに違うところなんですね。

そして、お正月というものは一年間を振り返って、今年一年どう生きていくのかっていうことを神さまとご先祖さまと家族とね、いずまいを正して、というのがまったくユダヤ教と神道と同じなんですよ。

13歳になったら、男の子は13歳になって本当に一人前の男として選ばれて、シナゴーグでちゃんと・・・、服を。それから見たら、神主衣装みたいなものを着てね、日本人もそうですよ。

1868年の明治維新までは、13歳になった男の子が元服して、はじめて成人となるというのは、女の子ではなく男の子で、13歳と。ユダヤ教も13歳、男の子だけ。女性じゃない、男の子だけなんだと。

これは、13歳になったら本当の大人としての儀式があってと。女の子じゃない、男だけ、13歳。一生のうち一回、これで本当の大人になる。これ全く、日本の元服式と同じですよ。

「えー」っていってユダヤ人が驚いて、日本人の私も「えー」って驚いて。

このようにユダヤ教と神道の近いところはいっぱい、だからまさにどこかで秦河勝(はたのかわかつ)、聖徳太子のときは、これ「秦」っていうのはヘブライ語でいうと神ということなんです。

だから、秦氏はユダヤ系中華人、それから空海のときは、ネストリウス派、景教伝来。

ネストリウス派のキリスト教というのは、ユダヤ教的なキリスト教。景教伝来というのは高野山にもあります。

まあ、そういうことで、古代にたくさん日本に入っていると思いますね。だから神道というよりも、習合していますけどルーツは限りなくユダヤ教に近い。


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