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2015年12月

2015年12月30日 (水)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2015年12月25日後半

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。

2015年12月25日放送分、今回のテーマは「クリスマス」。後半部分を書き取りました。


ここで、みなさんからいただきましたお手紙を紹介いたしましょうね。
ペンネーム:スージーさん
30代、女性
もうひとり、
ペンネーム:わかなさん
40代、主婦の方

これはみな、クリスマスにちなんだ質問ですので、両方紹介します。答えは、同じですからね。

-----------------

深見東州さん、こんばんは。
息子はまだ5歳で、サンタクロースの存在を信じています。いつまでサンタさんはいると思っているんでしょうかね。でも、事実を知ったときって、私もちょっとショックでした。東州さんは、いくつまでサンタクロースを信じていましたか。

これが、最初の質問ですね。スージーさん。
次はもう一つのわかなさんの質問。

東州さん、こんにちは。まあ、こんばんは、なんですけどね。
いつも楽しく聞かせていただいています。クリスマスの話しが出てきましたので、私は、小学生の高学年になってもサンタさんからプレゼントをもらえるだけで幸せという子供でした。

しかしながら、今6年生の息子は、純粋な気持ちはどこへやら。「自分のお小遣いで買えないものじゃないとクリスマスプレゼントの意味がない」と高額なゲームの本体を要求し、「サンタさんなら可能だよね」などと幼い妹たちの前で言い放ちます。

私は「クリスマスってそういうことじゃないでしょ。プレゼントをもらえない人だっているんだよ」と問いかけても、難しい年頃に入っていることもあって、聞き入れません。東州さんなら、こういう生意気な年代の子には何て答えますか。どう対処したらいいですか。

-----------------

っていうことでね。これですね、最初に申し上げたようにね、サンタさんはいるんですよ。北極星の神さまの象徴ですからね。そして、一陽来復の一陽の春の始まりの芽を持ってくるんですけど。それは実は、子供に与える、くつしたに入れるプレゼントというのは、ほんとうは目に見えないものなんですね。

それはですね、才能なんですよ。春から学校に入って、新学期っていうのは4月か、国によって違うんですけど、その子の才能の芽なんですよね。

そして、春になってきたらいい先生に巡り会って、歌を始める、勉強を始める、スポーツ始めるとか、いい先生について何か始める。そういうかたちで才能が芽生えてくる。才能の芽っていうのが一陽を与えてくれる。

それはサンタさんのプレゼントというのは、北極星っていうのはそういう働きなんですね。象徴で出てくるから、サンタさんはいるんだよと。

そういう歴史的な易学に基づくところの、かっこよく話してたら、生意気な小学生がああそんなんだと。でも最近はそういう子供多いんで、私が「十二月の詩(うた)」、うたは詩というポエムでね。絵本をかきました。

お兄ちゃんは、サンタクロースを信じている。弟は信じていない。サンタクロースっていうのは、お父さん、お母さんなんだ。見たよ、っていってね。だけども、本当のサンタクロースはどうなんだろうかと。サンタクロースを信じる心が大事なんだよという私の絵本がありますので、「十二月の詩(うた)」っていうんですけど。

それを英訳してですね、外国人にも見せている絵本がありますね、クリスマス用の。よかったら読んでいただきたい。

でもですね、この事実を知ったときにどうのこうのというんですけどね。「プレゼントをもらえない人だっているんだよ」ってありますでしょ。まさにその通りなんです。

実は私は16年前、1999年ですね、世紀末ですけども。最初は4つの施設から始めて2000年からみんなに呼びかけて。

今日本の孤児院というのはですね、300以上ありますかね。だいたい二万五千人くらいいるんですね、日本の孤児は。施設に入っている子供は。

その内の半分のだいたい一万二千人から一万三千人の孤児に、北海道から沖縄まで、施設にですね。毎年クリスマスプレゼントを届けているんです。

施設によりまして、ハサミが入っていたらいただけませんとか、どんなものあげるんですかとか、いろいろ気むずかしいこといって、施設のポリシーとしていただけないというところもあるんですけども、半分以上の人は歓迎してくれる。

特に、景気のいいときはね、企業がクリスマスプレゼントしてくれたりするんですけど、景気悪くなったら来ないとか、一時やっても続かないとか、ライオンズクラブさんとか、ロータリーさんとかやるところはあるんでしょうけどね。

続いているところはあるかもしれませんが、普通の企業はそういう傾向が多いんで、お願いですから毎年続けていただけますか、って施設からよくいわれます。

1999年に4つの施設に行ったとき、子供たちが大感激でね。施設っていうのはだいたい18歳で卒業しなきゃいけないんですね。

小っちゃい子供とか、小学校低学年までは、「あっ、サンタさんだあ」って、この手紙にあるみたいにね。

「あっ、サンタさんだあ」って、抱きついてきてね。それでプレゼントをあげて、何が子供たち喜ぶかというと。

私、時計の会社を36年やっています。予備校は38年。一つの会社で部門が分かれてずうっとやり続けているもんですから、子供用の比較的回転の遅めの時計で、子供用のあるのを入れたら、時計が一番喜んでね。

文房具セットとか多いですけど、手袋とか、毎回少しずつ変えていくんですけど、今はですから、270ヵ所くらいの施設に一万二千人にですね、毎年届けています。

ですから、孤児院に届けてくれたタイガーマスクのランドセルね、あれもずっと続ければいいんだけど、全国にあげたらいいんだけど、特定の施設にランドセルだけポン。まあ、それでも尊いことですね。

でもそれを継続してあげなきゃいけない、ということで、毎年楽しみにしていて、「そろそろ来るかなあ、サンタさんが」っていってきて。トナカイさんとサンタさんが行くわけ。

ワーっと抱きついてきて、「遊んで、遊んで」って、「また来年もきっと来てね」って。それで、かわいい字でね、「サンタさん、ありがとう」ってみんなひらがなで、お手紙が来るんですね。

そして、また毎年楽しみにしているからね。クリスマス近くなったら、あの子たち待っているなあと思うので、やめられませんね。

突然なくなったら、また見捨てられたんじゃないかと思うんで、これはもう、ずうーっと、私が命続く限り、組織が続く限り、やり続けようと。

ということで、そういう子供たちがたくさんいる世の中の現実というものを踏まえてですね。子供ですから無理ないです。知らないですから。

お母さんがそのことを知らせてあげるか、知らせないんなら切り替えて、三日間飯食うなとか、もっと厳しくしてもいいんじゃないかと思いますよ。これが、サンタの鉄槌じゃということでさ。

そういうのもオリジナルなクリスマスじゃないかと思いますけどね。いかがでしょうか。ご自分で選んでくださいませ。どのように過ごすのも個人の自由でございますので。

「仏の顔も、サンタまで(笑)」(東海林さん)


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2015年12月29日 (火)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2015年12月25日前半

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。

2015年12月25日放送分、今回のテーマは「クリスマス」。前半部分を書き取りました。


メリークリスマス。メリークリスマス。メリークリスマス。メリー、メリー、メリーさん元気ですか。メリークリスマス。
メリーさんのひつじ、ひつじ♪
先進まないな。とにかく、メリークリスマス。
深見東州でございます。

メリークリスマスというのは、キリスト教から由来して、みなさんご存じですね。クリスというのはキリストのことです。ジーザス・クライスト、そのクライストが、クリストになって、キリストっていうんで。まあ、カタカナ表記の前に、英語がある前にもちろんギリシャ語ですけどね。ギリシャ語の前は、もちろんヘブライ語でしょうけどね。

今の人びとはクリスマスをおおいに楽しんでいるんですけどね。クリスチャンのクリスマスとかイブとか見たことあるんですね。必ずロウソクがでてきて、厳粛な賛美歌を歌ってね、賛美歌ってよくみたら、全部イエスさまとかマリアさまに対する賛美か、という感じですね。

今笑い声が聞こえましたけど、放送作家の東海林さんです。よろしく、どうぞ。

「よろしくお願いします」(東海林さん)

ほんとに、キリスト教の人たちの厳粛な宗教的な行事の、ロウソクを灯して、賛美歌を歌って、祈りを捧げるというのは。これはこれでほんとうに、信仰心の心からの表れとして、イエス・キリストの生誕を祝うっていう、厳粛ないいものですね。

それ以外のパーティーとか儀式化しているんで、それは変だという人がいるかもしれないんだけど、これはものを知らない人の理解力です。

ほんとうはですね、キリストがこの時に生まれたかどうなのか、はっきりしないんですよ。こういうときにクリスマスを祝うっていうことは、だいたいこの時っていうのは、イエス・キリストが生まれたのは、A.D4年かな。そのもっと前からこういう信仰がずっとあったわけですね。伝承、神話、説話があったわけです。

ところが、われわれ東洋の易とか歴史とか哲学、勉強しているものにとってみたら、それはそうでしょう。

イエス・キリストが生まれてきたのは、どういうことかっていうと、宗教史の中ではね、それまではユダヤ教の中に戒律っていうのがあったわけです。

モーゼの十戒、何回これをいったかというと、十回いったというんですけど。モーゼっていうのは、紀元前1300年くらい前かな。

その十戒がでて、六百数十種類の戒律というのがあったんです。戒律のための戒律があったんで、いったい何のための戒律なのかと。神さまはなぜ戒律というものを人間にくだしたのか。

それは、愛によってくだしたんだと。だから、戒律のための戒律となっていたユダヤ教のみなさんに対して、本来の原点に戻れということで、イエスが、戒律がくだされた理由は神の愛によって人びとのために戒律くだされたので、戒律のための戒律じゃないよ。

ということでですね、戒律に対して愛というものを歴史上はじめていったところが、宗教史に残るイエス・キリストの画期的な足跡なわけですね。

ですから、戒律に対する愛、その愛があるならば、安息日でもお医者さんが子供の治療をしてもいいじゃないかと。もう命があぶないというわけだから。

安息日になってきたら、ユダヤ教教徒というのが、目の前で人が死にそうなときでも医者は仕事してはいけない、労働してはいけないと。

ですから、テレビのスイッチも入れちゃいけないと、厳格に守っている人は。じゃ誰かにスイッチ入れてもらうと(笑)。誰かに、おいスイッチ入れてくれと。

そういうふうにまあ、厳格に戒律を守る人はそうなんです。そういうことで、スイッチ入れるのは愛かどうか考えて。

歴史上はじめて戒律に対する愛というものをいった。それが、ペトロとパウロがいて、ペトロは一緒にイエス・キリストと殉教した。パウロという人は、ギリシャ哲学を勉強しておった学者さんみたいな人で、実際にイエス・キリストと会ったことないです。

馬で乗っているときに、イエス・キリストの神霊と出会って落馬してね、イエス・キリストが直接いわれたというんで。

これが、このイエスの教えというものは、戒律に対して愛というユダヤ人だけに広められたものが、もっと普遍的な中身があるから、ユダヤ人以外にもこれを広めるべきだということで、今日の世界宗教になったわけです。

イエス・キリストというのは、特に、そういうものを考えずに、弟子のパウロがそうしていこうと広めたわけなんですね。

ですから、イエス・キリストをクリスチャンが祝うのはそのイエス・キリスト。人類史上はじめて戒律に対して愛というものを人類に残された、その偉大なるものはクリスチャンであってもクリスチャンでなくても、そのイエス・キリストの偉大さっていうのは何びとも否定できないですけどね。

でもですよ、そのもっと前からクリスマスの儀式っていうにはあったわけです。我々が、っていうと変ですけど、東洋哲学とか勉強している人間はそらそうでしょうと。だいたい、12月22日なんですけどね、冬至の日です。

当時から冬至っていうのはあったわけですね。冬至る、日が一番短いときですね。12月22日は、冬至なんですけど、冬至というのは易経でいうと、易は乾と坤があって、乾坤、天と地。乾の中にも三つの卦があって、坤の中にも三つの卦があって、これ六つの卦で、循環していくわけですね。それで、陰陽のバランスでいくと。

太極が分かれて陰陽、陰の中に陰陽があり、陽の中に陰陽がある。そこからまた分かれて陰の中にも陰陽があってと。八つの陰陽が分かれていったんで、ハッパ六十四。六十四の卦で森羅万象全部説明しているというのが易経なんです。

易経は同時に、循環するという意味なんです。その易経がですね、陰遁(いんとん)から陽遁(ようとん)に変わっていく、陰極まりて陽なんで、冬の至りっていうのはその時に春がやってくる。これが一陽来復といわれている。

だから、乾と坤が六つの卦の中に、乾も陰、坤も陰、陰の極まりが冬至でですね、そこからパッと一陽が復ってくる。そこから春が始まっている。

だから、一陽来復というのはお目出たいものの始まりなんですけど、その陰が極まりた極致、すなわち悲しみの極致とか、不幸の極致とか、荒廃の極致というんだけども、極致の次には、陰極まれば陽。必ず新しいものが出てくる。新しいものが生まれてくる予兆がでてくる。それが一陽。

その一陽を大切にして、3月か4月には本当の春が来るんですけども、春は、冬至の陰極まりたそのときから一陽が復ってきた。この一陽を大切に温めて、まだそのときは形がない、目に見えないところですけども、春が始まっているわけです。

形が出てくるのは、3月、4月でしょ。そういうところで、一陽を大切にしていこうと。
芽生えた不幸の中から、つかみ取ったこの陽、幸せの芽、発展の芽。この芽を大事にしていこう、微かなもんだけどね。というので一陽来復が、ほんとうに新しい幸せの芽として大事にするわけですよ。

その時と同じなんですよ、昔から。だから、12月22日から24日のこのあたりっていうのは、東洋の易経で、それを知ってる東洋人、中国人、もちろん日本も太古はそうだったんですけど、同じように感じている人がおったわけですね。

それイエス・キリストの生誕するもっと前から、人びとはそういうふうにしておった。だから、クリスマスは、そういう意味で、クリスチャンだけじゃなくって、東洋人がそして、世界の歴史の中でこの時期というのは、寒さの極まるときなんだけどもそこから春がやって来ますよって。

サンタクロースも実は北極星から来るんですけども、易経で太極っていうのは北極星ですから、そこから新しい目に見えない春と、幸せがやって来る。

不幸の極まりの時に、幸せがやって来る。逆に陽極まりて陰、幸せの極致の時に不幸の瓦解が始まっている。それを戒めなきゃいけないと。これが易経の心です。

古代の人は、中国人みたいに理屈でいわなくてもよくわかっていたわけなんで、そういうことで、クリスマスっていうのは、イエス・キリストの誕生の前から祝っていたわけですよ。

だから、これは宗教の宗派を超えた、みんなが厳粛に楽しまなきゃいけないということでしてね。

今週のテーマは、2015年、今年もあと6日、どんな年だったか振り返りましょう、っていうんだけども。このように放送作家の東海林さんから出たのが、本当に浅い、普通な、平凡なね(笑)、自分でも、宗教でも、占いでも何でもいい、自分が救われると思いながら信じればいいのでは、なんて書いてある。素敵なクリスマスの夜を過ごしているか。みんながクリスマスが素敵な夜になるように。っていうことをね、書いてある。

なるべく放送作家の書いた台本とは違うことをいう努力をしている、これがね。でもそういうことなんで、キリスト教の厳粛なクリスマスも素晴らしいけども、実はもっと前からあることなんで、結局そこからなかなか話しが進まないんだけども。

クリスマスイブって、放送作家の東海林さんが、25日が本当のクリスマスで、イブは前夜祭だからね、みんなどんちゃん騒ぎするでしょう、っていって。

そんな、浅はかなこというなあ、放送作家は。無理もない、平凡だな、普通だな。なぜクリスマスイブ、あるいは前夜祭を大事にするかというのは、昔の人は一日の始まりは前の日の夜から始まる、日が落ちて夜になったら、夜から次の日が始まると考えておった。

朝、ガーっと起きたらその日が始まるじゃないです。夜から次の日が始まる。要するに日没したら次の日がもう始まっているんだということなんで。

ですから、イブっていうのは前夜祭じゃなくってですね、いわばオープニングなんですよ。だからクリスマスイブっていうのは前夜祭じゃなくって、25日のイエス・キリストの生まれた日が始まっているんです。クリスマスが始まったということを喜んでいるんで。

前夜祭っていうのは、前の日を喜ぶとか、お祝いするんじゃなくって、その日が始まったということなんですね。

大晦日も考えてみたら、その日が始まったということなんですね、欧米で。しかし、日本の場合の大晦日とかユダヤ人の大晦日っていうのは、また別な意味があるんで、また別の機会にお話しいたしましょう。


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2015年12月24日 (木)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2015年12月18日後半

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。

2015年12月18日放送分、今回のテーマは「お一人さま」。後半部分を書き取りました。


今週もたくさんのメールありがとうございました。さて、後半もメールを紹介しましょう。

まあ、さっきの大きなテーマなんでね、私もマザコンを大学2年生で克服しまして、鬼のようになってから男らしくなったというんで。あれがなければ、ずうっと今もマザコンで、彼と同じ悩みを持ったと思います。脱皮してきたんですね。

お一人さまの時代って、いろんな過ごし方、越え方があるので、これからもいろんなパターンの、要するに都会の孤独っていうものが、ますます、問題になってくる時代ですので。

これからの課題は都会の孤独をどう救っていくのか、っていうふうにマザー・テレサがいったといわれていますけど、まさにその通りで、それを毎回掘り下げていきたいと思いますね。

もうひとつ、今回はペンネーム:ユーシェルさんという人のね、メールにもお答えしましょう。30代、女性、主婦です。

--------------

年齢とともに指先に潤いが失われ、カサカサするものですね。水仕事とかするのでクリームは塗ってもすぐとれてしまうし、油ものばっかり食べるわけにもいかないし、指先に潤いを行き渡らせるように、些細なことに気を配ることを忘れず歳を重ねたいものと思いました。

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というのが何のことかよくわからないような、いい質問なんですけどね。これね、女性で水仕事して、手がカサカサするというのは、ほとんど中性洗剤の界面活性剤のために手がカサカサする場合、石鹸とか界面活性剤というのをちょっとつかうと、ほんとうにカサカサしますよ。

だから、ほんとうにナチュラルな自然の油で使っているものでやるか、中性洗剤使うなら、手袋使って、皮膚につけないことですね。

特に僕は今、シャンプーも石鹸もリンスも何も使いません。体も一切石鹸使いません。というのは、皮膚に微生物がおって、それが皮膚の柔らかさとかつやつやを維持しているんで、しょっちゅう顔を石鹸で洗うとですね、皮膚の表面のいい微生物と菌を殺しちゃうんですね。

だから、お湯で洗うだけです。要するに体温より高いお湯だったら溶けるんですね。ですから、頭もですね、ベルメという重曹のエッセンスしたものならしつこい汚れはとりますけども、それ以外なら一切シャンプーもリンスも石鹸も使いません。

要するに体温よりも高いお湯でやれば全部溶けて流れるんです、体の脂は。ですから、それを使わなくなってきたから、お肌も手もカサカサしたことない。もともとカサカサしませんけどね。

女性の肌、オイリー肌と乾燥肌の二種類に分かれますから、クリームなんか一切使わない人が一番お肌元気ですよ。皮膚の微生物がハリと若さを保っているわけなんで、あまりシャワーも浴びすぎない、風呂も入りすぎないと。

だから、今は僕はもう絶対、シャンプーもリンスも石鹸も一切使いません。皿洗うときには絶対に手袋します。僕も料理何でもするし、皿洗いしますけども、水だけではカサカサしませんよ。

中性洗剤、シャンプー、リンス、石鹸をやめるとですね、何も全然臭いはしません。そして、実はですね、指先の潤いっていうのは脳を表わすんですね。

だから、手のひらがぽちゃぽちゃしている人は、脳も柔らかいんです。手の中が堅い人っていうのは、頭が固いんです。

だから、脳を鍛えると、手はつやつやしてきますよ。頭をいつも使っている人は、手のひら見たら、つやつやツルツルしています。で、すごい馬力のある人っていうのは、親指の付け根の丘っていうのが、ぽちゃぽちゃしてるね。これは、エネルギーとバイタリティがあるっていうあらわれなんですね。

手に艶がなくなったら、頭を使っていない。ルーティンワークしているんで。脳みそ使ってない人がそうなんです。

あと、もう一個は、水虫ができる原因とか、ツメが割れるというのはですね、歩かないから。よく歩く人は、つま先に血流がいくんで、水虫にならないんですね。

指先も常に血流をよくするように、握力を鍛えて、筋肉を鍛えて、血流がよくなってきたら、血液が指先までいきますので、お手々がぽちゃぽちゃしてる。指先に血流がまわっていくような運動をしているとですね、手がカサカサしないと。

こういうなことが、私も医学を勉強し、自分も健康に気をつけている間に、研究してわかっていったことなので、そのあたりのことをヒントにしてお手々がぽちゃぽちゃして、頭もボケないで、非常に美しいお手々、皮膚も臭くならない、ぽちゃぽちゃした若いお肌。
お化粧品なんか、一切使いませんからね、私は。今いったことをよく整理して、ヒントにしていただきたいと思います。




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2015年12月20日 (日)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2015年12月18日前半

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。

2015年12月18日放送分、今回のテーマは「お一人さま」。前半部分を書き取りました。


こんばんは、深見東州です。
昔、スネークマンショーという小林克也さんがやってた、あと伊武雅刀さんなんかがやってた有名なことばがありますよ。
「こなさん、みんにちは」
「今日は、かんたまが、きゆいですよ」

なかなか、どういう意味ですかといわれると困るんですが、昔懐かしい人はアレね、と思うのでしょうけど、ラジオでなかなか名作の番組がね。

ということで、毎週金曜日のこの時間、30分という短い時間ですが、私とあなたをつなぎながらお話ししましょう。前で、クククククッと、「ようこそここへ~♪クックックック♪」といってるのはですね、薄い毛であるのにかかわらず、心は濃い青春を維持している放送作家の東海林さんですね。

「わんばんこ」(東海林さん)
「わんばんこ」というのは、発音気をつけないといけないんですが、中島みゆきさんがね、オールナイトニッポンでよくいってました。

あんなシアリアスな歌をつくるのに、「ギャギャギャギャ私は・・・・・・」って。中島みゆきって二人いるんじゃないかと思った人がいるみたいなんですけど。

まあ私は普段からずっとこんなもんなんで、ずっと深見東州さんは一人だということで、今日はですね、今週のテーマ「お一人さま」ということで。

「お一人さま、ご案内~」なんてことがよく料亭とか、お店でありますけど、要は、老いも若きも今や「お一人さま時代」といわれていますね。

恋人がいない人が独身男女で50%近いという、そいうデータもあります。20歳の未婚男性が40%、交際経験なしと。出会いの場が少ないのか、交際がめんどくさいのか、てな話しをですね、今日はしたいと思います。

えー、男女交際とか、男女共学とか、そういう高校で育った人と男子校とか女子校で育った人は、確かに出会いと青春の過ごし方が違うと思いますけどね。

特に女子校というのは、男子に対してですね、男女共学と比べて一般的傾向ね、たくさん受験生もうちの従業員もいますので、女子中、女子高、女子大出た人っていうのはどういう傾向があるかというとですね。過度に男性を美化しすぎるのと、過度に男性に潔癖に距離をおくのと両方なんです。

男子校はどうなのかというと、過度に女性を美化し過ぎたり、遠慮し過ぎたりということなんで、まあ男女共学のほうが、男女にかぎりなくつきあえるんじゃないのかというのがありますけどね。

男子校は男子校のよさがありますし、女子校は女子校のよさもあるので、一概にはいえないと。でまあそういう傾向があるということなんでね。

そういうことで「お一人さま時代」。一人カラオケとか、一人焼き肉とか、一人○○が商売になるということでね。まあ交際するのがめんどくさいとか、携帯でメールでピッピピとやって、うちのスタッフにも、隣同士で座ってるのに、会話すればいいのに、ずっとメールで。

「お前何やってるんだ」
「いや、隣の座っている人とずっとメールでやり取りして」
「会話すればいいじゃないか」
ということで、直接的にあって話しすればいいのに、メールに慣れている人は、口にだしていうというのが不得意な人が多くて。

「あと、ラインです」(東海林さん)
ラインをこうピッピッピッピ、コミックの吹き出しみたいのがずっと出てきて、まあ、めんどくさいもんですよね。

私がお話しする前に、ちょうどぴったりのお便りがありまして、ちょっと紹介しますとね。
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ペンネーム:イトキンさん
深見東州さん、こんばんは。
第4回の話しとても面白く、また勉強になりました。お話しに女性とのおつき合いの話しがありました。実は僕は今年で39歳になりますが、今まで女性とおつき合いしたことが一度もありません。人並み以上に女性に対するあこがれはあるのですが、自分はけがれた人間だから女性をけがしてしまうのではと。チャンスは何度もあったのですが自分でダメにしてきました。こんな僕は女性とおつき合いしてもよいのでしょうか。

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これ見て思い出すのは、アンドレ・ジイドの「狭き門」という作品でね。アンドレ・ジイドの「狭き門」というのは、バイブルの中に「狭き門より入れ」という、これはキリスト教の信仰に対して狭き門から入りなさい、狭く細い、しかし、命に至る永遠の幸せのある扉は、狭い門だけどもあえて狭き門より入りなさいっていうね、バイブルのことばですよ。

そのアンドレ・ジイドの「狭き門」は、なんなのかよくわからなかった、読んでね。よくわからないままだったんですけども、何年か経った後に、遠藤周作のですね、アンドレ・ジイドの「狭き門」の解説が書いてあって、それではじめてわかったんですね。

なんだ、そういうことだったのかと。結局、そこで出てくる主人公というのは、女性というものに対して、美化して美化して、美化して美化して美化して、要するに聖母マリア様のような、聖母のように敬うわけですよ。

そういうふうに自分を敬って、清らかなもの、貴いものというふうに扱えば扱うほど女性というのは暑苦しく重苦しくて、自分を美化されている純粋な思いほど暑苦しいものはないんで。

その人のことを思って敬えば敬うほど、きついこと、厳しいこと、イヤなことばっかりいって、ボロクソにいってさ、結局その女性もダメになって死んでいき、男もダメになっちゃうんですね。

で最後に、あなたってまだ目が覚めないのねって、その女の友達にその男がたしなめられて終りという。なんだこれはという。

結局、女性というものは母のような聖なる部分と娼婦のような、欲望と煩悩と愛欲に満ちてドロドロしたそういう女の部分をあわせもっているわけですよ。

だから、いわばマザコンですね。お母さんのようなものとして女性というのは扱われると、扱われて女性は暑苦しくて暑苦しくて、そうじゃないのよそうじゃないのよと。

私をバシッとしばいてね、そして愛してちょうだいよと。女のいい面も悪い面も、汚い面もきれいな面も、煩悩の面も、そして、女性、母としての要素、両方受け入れて欲しいと。

そういう意味でですね、心理学ではね、男はどうなるかというと、セクシーなとか清らかなとかいくんですけど、最終的に男はどういう女性に行き着くかというと、知性と官能ををあわせもっているね。

非常に性的に官能が豊かな人と知性を、両方あわせもっている女性に、男は最終的に行き着く。

じゃ女性はどうなのかと、結局チャタレイ夫人の恋人みたいにワイルドな男がいいといったり、王子様のようなのがいいといったり、かっこいい人がいいといったり、男らしいのがいいといったり、包容力があるのがいいといったり、いろいろあって、最終的に女性はどういう男性像に行き着くかというと、牧師さんのような人に行き着くと。

自分というものも、いいものも悪いものも、罪も穢れも全部受け入れてくれる牧師さんのような男性像に行き着くらしいですね。これ心理学ですよ。

僕はどうなのかというと、全然そんなこともなく、とにかく気を遣わなかったらいいと。健康で、世話してくれて。明るく気が利いて、気を遣わずにやってくれる女性が今は一番いい。

官能も知性もどうだっていいと、そんなのは。気を遣う女性、浮き沈みある女性が一番困るね。それでなくても、たくさん世の中で気を遣うことばかりなのにね。

話しは元に戻りますと、アンドレ・ジイドの「狭き門」ね、遠藤周作の解説でようやくわかったわけですよ。あまりにも美化して美化して美化して、いわばマザコンですよ。

母親の聖なる像として美化するから、女性はそれが苦しくて、つらくて、暑苦しいからもうやめてよ、というかたちで、つらいことば、厳しいことば。

「なんで、キミはこんなにひどいこというんだ」という男も不幸になり、女も結局変な人生で、死んでしまって、両方不幸になったという物語だったわけだ。

まだ、女の本質というのに、あなたは目が覚めないのねって、その女友達に男がいわれて「ホー」で終りと。

結局、アンドレ・ジイドは「狭き門」としてそれをいいたかったわけですよ。だから、この人も同じです。要するにマザコンですよね。お母さんときっと仲いいと思うんですよ。
「母親が何だ」っていって、高校2年生くらいのときから、お母さんにとってはやりにくい男の子。いつでも母親とケンカして葛藤しているという高校2年生っていうのが非常に健全な男の子ですよ。

男としての自我が目覚めて、健全に成長しているので、うちの受験生でも高2とか高3でお母さんとぶつかってうまくいかないんだというのは、「キミ、それすごい健全だよ」と。

高校2年生3年生、大学1年2年3年ずーっと、お母さんと仲良しっていう男は気持ち悪いですな。めちゃくちゃ気持ち悪いですよ。なぜ気持ち悪いかというと、マザコンだからですよ。

お母さんのような要素はあるけれども、女性は女性として煩悩をもっているし、しばきあげて欲しいし、叱って欲しいし、いろいろやって欲しいこともあるわけですよ。

キスもいいけど、キスだけなのとか。いろいろやっても、それだけなのとか。思いきって私をぐちゃぐちゃにしてよというような衝動と、そんないきなりされてもという複雑な心理をよくわきまえて、女性心理は有機的、立体的に理解しなきゃいかんのは、そういう小説をたくさん読んでて、場慣れしてこないとできないんで、これはもう、痛恨の私の学生時代の反省点がありまして。

実は、このイトキンさんと全く私も同じようなもんだったですね、マザコンで。ところが、大学3年生の400人のESSのプレジデントになって、みんなの女の子のためにとやったことが・・・。

組織の長になるということは、組織の知性ですね、組織の知性としてどうあらねばならないかっていうことを考えたときに。

結局、1年生2年生のときに仲よくしていた女の子っていうのは、自分の要求、欲求はいうんだけども、部員として果たさなきゃならない責任感とか義務感とか、クラブのために闘うぞというようなものよりも、とにかく遊ぶこと。自分はやらないんだけど、要求だけすると。

というものが仲よくしておった女の子の実体だったということが、責任ある立場になったときにわかったんですよ。

結局、優しい男の子ばかりだと思うので、皆にとってなにが一番必要なのかというのが、鬼のようなしびれるような恐い男で、めちゃくちゃ実力があって、文句いえまへん、っていうような。

しびれるような実力と英語とロジックが明快で、対外試合でバシバシ勝ってくるような強いたくましい。対外試合でバチーンとね、やっつけてきて、ぐうの音も出ないような実力があって、鬼のような恐い先輩で、しびれるような実力のある先輩がいないんだと。

みんな優しい優しい優しいだったんで、結局クラブ活動にとって、何が一番必要なのか考えたら、みんなのために僕が鬼のような、鬼の半田、鬼のプレジデントになって、こいつらに喝入れていくんだ、というふうなことが、クラブ活動が要求している組織の知性ですよ。

必要だということがわかってですね、マザコンであることに気がついてですね、鬼の半田になって「何という態度だ、そんなんでいいと思っているのか」と名指しで、今まで親しかった友達にバシバシに文句いって、しかも実力があって対外試合で勝ってくるから、「すみません先輩」、「すみません半田くん、ごめん」っていって、たちまち女の子から手紙が来るようになりましたね(笑)。

なんだ、女の子はそれを求めていたのか。自分をバチーンと否定して欲しい、「馬鹿野郎このやろうめが」とか、物パーンと投げて「そんなんでいいと思っているのか」というかたちでいう、それを求めておったと。そればっかりだったら、厳しすぎて恐すぎて、何かもの足らないんだ。

ある大学教授が、もてる男はどういうものなのかという定義を分析しました。4つのポイントに彼は分析しました。その本は立ち読みで読みました。それを私が買っているのみていたら、東州さんはもてたいんだなと思われるので、立ち読みで全部読みました。

4つのポイントです。まず何かというと、
1)リーダーシップがある。みんないくぞと引っ張っていくリーダーシップのある人が男らしくていいなともてる要素。

2)自分の話を聞いて悩みを受け入れてくれる許容力ががあるのが男らしいな、といってもてる。

3)頭がいい、賢い。リーダーシップがあって、許容力があって、頭が悪いというのはあまりもてない(笑)。

4)自己犠牲ができる人。組織のために、みんなのためにオレがやってやるよというかたちで、みんなのために自己犠牲してでもやってくれるというのは、これはやっぱりかっこいい。アニメでも、コミックでも、ミュージカルでもヒーローってみなそうですね。

だから、この4つがもてる男の4大条件。こういうのはクラブ活動でサッカーとかラグビーとか、ああいう風なクラブ活動の中でリーダーシップだとか、部員の話を聞いたり、こうすりゃいいんだ、と賢くして、自己犠牲の精神、というのが運動クラブとかクラブ活動の中でそういう活動をしていくとですね、女性が本当に素晴らしいなと思う。もてる男の4大要素が確立するわけですね。

もう一つは、もてるとはどういうことなのかという定義ですね。その立ち読みした本ね。例えば、学生のころはいっぱいガールフレンドがいて、オレは女には不自由しないだよって、常に女の子がはべっててね、やりたいようにやっておった。

女では不自由しないんだという男が、ある40歳くらいの結婚適齢期になってきたときに、お見合いをしました。あっ、これは素敵だなという女性と結婚したいなという女性がおったら、次々とお見合いで断られたと。

はたして、この人はもてる男といえるのだろうかどうなのかですよ。若いときに知性も教養もなく、何でもかんでも誘惑に乗ってハイなんていっている女性といくら交際して「妊娠させてやったんだ」というかたちで、あたかも男のステータスのようなこというんだけども。

いわゆる男の実力の今いった4大条件の実力と能力と魅力がなければ、向こうもえらぶ権利があるわけだ。

そんな自分が結婚したいと思う女性から、あなたはイヤですといわれた男をもてる男といえるんだろうか。決してもてる男といえないでしょう。

だから、女の子がいっぱいいるのが決してもてるわけではない。10代20代で目一杯実力をもってきて、自分が結婚したなあと思う人が、「え、私もぜひあなたと結婚したいです」というのが、これが本当にもてる男なんだということでね。




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2015年12月16日 (水)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2015年12月11日後半

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。

2015年12月11日放送分、今回のテーマは「受験勉強」。後半部分を書き取りました。


今週もたくさんのメールをありがとうございます。

さて、後半もメールを紹介いたしましょうね。

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ペンネーム:さかなちゃん。
10代、女性、学生。
中3女子のさかなです。
今年は受験はないので、本をたくさん読もうと思っているのですが、あちこちに思考がとび、集中して読めずに困っています。テスト勉強でも同じで、成績が心配です。集中が長続きするいい方法を教えてください。

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集中が長続きする方法って何かというと、ご飯を食べ過ぎない、と。腹六分目ぐらいというのは集中は続きます。

ご飯とか、食べ物食べたらなかなか集中が続かない。すなわち、集中っていうのは、交感神経が働いて、脳にガーッと血液がいく。もの食べたら副交感神経が動いて、内臓血液がいき、脳みそに血液がいかないんで、集中が続かないわけです。

なるべく腹六分目ぐらいで、食べ過ぎない。六分目から五分目くらいのときっていうのは集中が長く続きます。

もう一つは筋肉、背筋ですね。背中の筋肉が発達してくると、集中ができると。ある新聞で、統計とりましたら、どういうスポーツしている人が一番よく勉強できるかというアンケートと統計とりましたら、ナンバーワンが剣道だったんですね。

剣道やっている人が一番成績がいいし、集中が続く。その次の二番目は卓球だったんですね。これいずれもマンツーマンでやる、一人でやる。

チームワークで、いくぞーっていうのはお互いが注意を向けなきゃいけないんですけど、剣道は自分と相手とを見ている。卓球もそうです。

いずれも、背筋をたくさん使う姿勢のスポーツであり、個人技でやるものですね。一番が剣道、二番が卓球だったんです。皆さんのお友達にも知り合いにもね、剣道やってた人っていうのは、わりかしよく勉強ができて、集中が続く人多いでしょう。それから卓球をやってた人っていうのは、意外に勉強がよくできて、集中が続く人多いですね。

それは、ひとりでずーっと相手を見続ける、そして背筋を鍛えている。

まあこういう統計とって、ラグビーとかサッカーとか、みんなでチームワークというのは、気分があっちこっちに散って・・・。勉強できる子は上手に切り返しているんですけど、一般論ですよ。ですから、背筋というのが集中を長続きさせるコツとしていわれているわけです。

しかしですね、それ以外にも集中というのはいろんな要素がありますね。さかなちゃんの場合はね、本をたくさん読もうと思っているんだけど、あっちこっちに思考がとんで集中して読めずに困っているというのは、読む本が悪いんですよ。

例えば推理小説とか、放送作家の東海林さんはジェフリー・アーチャーの「ケインとアベル」。ストーリーが次から次へと展開していくのみたら、もう眠れなくなるというね。

ラングドン教授の「ダ・ヴィンチ・コード」なんかも、次々次々とでていく、スリラーものサスペンスものね、真犯人はどうなっていくんだろうか。物語に引き込まれる、ストーリーに引き込まれているっていうね。そういう本っていうのは思考がとばないし、夢中になって、明け方まで読んで、止まらなくなります。

集中して読めないという本は、無理に読まなくていい。読むんなら休み休み読んだらいい。今の前頭葉の読解力を越えたものというのはやっぱり、脳がスパーク起こしてるんですね。

だから、なかなか一気に読めないですよ。密度の濃い評論文とか哲学文とか論述文とかね。そういうふうなものっていうのは、なかなか思考があっちこっちにとんで集中して読めないですよ。

それは作者の文体が悪い、ものの展開の仕方が悪い。引き込まれるような読み方を書くという文章技術がないからなんで、そんなのは無理して読まなくていい。でも読みたいなという本はですね、休み休みしながら読んだらいいわけです。

本薦める斎藤孝さんがそうで、同時に10冊ぐらい読んで、おトイレにこの本、バックにこの本、電車だったらこの本、リビングにこの本、机の上にはこの本、左のポケットにはこの本、右のポケットにはこの本。

好きなところから、真ん中から読んだりしていきながら、とぎれとぎれしていきながら、あっちこっちあっちこっち気になるのを10冊ぐらい用意して、同時に10冊バラバラの本を読んでいくという、これも一つの読書術の、やり方なんですね。

斎藤孝さんなんかもそういうふうに読んでいるんで、僕なんかもそうですね。ストーリーが面白いのは夢中で読める。吉川英治の宮本武蔵なんていうのは止まらないですね。面白くて。

そういう文体がよくってストーリーが面白くて、リズムとかテンポがある文章っていうのは、次々次々読めるんで、集中するなといっても、やめられなくなります。コミックもね、集中するなといっても集中する、面白いから。

そうではないような評論文とか論説文だとか密度の濃いようなノンフィクションものというのは、そう簡単に、誰も集中して読めない。だから、集中して読む必要ない。ぶつ切りで読んでいったらいいんです。

同時に10冊ぐらいいろんなところに本を置いていて、ちょっとずつ読んで、同時に10冊読み終わると。こういう読書術もいろいろあるので、読書のやり方っていうものは千変万化なので、一つのやり方に拘泥することはない。

なにも集中、長続きする必要ありません。思考がとぶのは悪いことじゃない。集中して読めずに困ることはない。そんな人はいっぱいいると。そんな本が悪いんだと。

そうしたら読めないというのは、無理に読むことはない。時間もったいないんで、文体のいい、気持ちよく読める本、いっぱい世の中にあるわけなんで、本はね。そういう本を選んで読めばいいわけです。

無理して自分が適合することはない。自分に合わせるような本を選んだらいいと。主体性をもって、皆さん勉強していただきたいなあと思います。




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2015年12月13日 (日)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2015年12月11日前半

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。

2015年12月11日放送分、今回のテーマは「受験勉強」。前半部分を書き取りました。


日本の学校は入るのが難しくて卒業が簡単。韓国の受験地獄に比べるとまだましかなあ、なんていう話しもあります。

私はもう受験勉強ほど苦しんだものはないです。誰よりも苦しんで葛藤したから、その反省を踏まえて予備校をつくりましたときに、すべて活かされましたんで、だいたい受験生のあらゆる悩みは、だいたい全部私が経験した(笑)。

そういうふうに子供のころから優秀でエリートで賢かったというわけではない。だからそういう生徒の気持ちがよく分かって、予備校も38年やっているわけですね。多くの経験を踏まえて皆さんにお話しできることはいっぱいあると思います。

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ペンネーム:ナッツーさん。
10代、女性。
こんばんは、私は今、受験生なのですが、いろいろとぐれてしまって勉強も学校もダメダメです。人間関係があまりよくなくて、一人になったらどうしようといつも思います。まわりからどう思われているのか、すごく気になります。自分の性格を変えなきゃと思うのですが、なかなかできない。こういうことをくり返しています。どうしたら自分の性格や人間関係よくなりますか。よろしくお願いいたします。

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これはどう考えてもごく普通ですよ。ぐれてしまって勉強も学校もダメダメ、人間関係もダメダメ・・・・・・、なんてね。

なぜかというとですね、日本全国12月とか11月の受験生はみんなこんなこと思うんです。現役の高三生というのはこう思うんですけど、浪人になってきますと、これが3倍、二浪になってくると10倍、三浪になってくると半分開き直って5倍というふうに、何乗、何乗というかたちで積み重なってくるものなんです。

ですからこの時期は誰でもこのようなことを思うんですね。これはなぜかというと、9月の真ん中ぐらいを過ぎてくると、受験生はどうなってくるかというと。

春は伸びやかで、やるぞ、頑張るぞと思うんですね、夏はなんか暑くてボーッとしてても積極的なんですね。秋になってくると、秋は悲しい別れ、物憂く考えるとき、夏に食べすぎたもので髪の毛が抜けていくとき、もともとない人は頭が輝くとき、頭皮がね、そういう意味で逃避したくなるんです、人間っていうのは。

そういうことで、秋になってきたら物憂くなってくるので、受験生というのはだんだん不安と恐怖と心配、そして空回りが始まるんです。それで10月になってくると、ますます深くなって、志望校を落とそうという気持ちになってくる、不安で。

ちょっとでも模試の判定が悪いと、志望校を下げますね。そうするとどうなるかというと、テンションも下がるもんだから、勉強時間も集中力もますますダメになってきて、下げた志望校も通らなくなるんです。

だから、模試の判定が”もし”だめでもですね、志望校は絶対下げるな、と。テンションも下がって、下げたとこも通らなくなるよ。というのが受験生に共通する心理なんです。
11月になりますと、「胸突き八丁」のときっていいましてね。胸突き八丁は八丁味噌ってありますけど、要するに山を登る8合目くらいかな。酸素が乏しくなってきて、歩けども歩けども歩けども、頂上が見えないんです。

そうかといって元に戻ろうと思っても、下山するのは登る以上に大変なんで、結局登ることもできず、降りることもできない。酸素が薄くなってくると、精神的にも肉体的にも心身ともに疲れて登れなくなっちゃってる。そういうのを胸突き八丁というわけですね。

そういうときどう乗り越えればいいのかというのは、上を見て頂上はまだまだなのかとか、これから下山するのもできないからヘリコプターをチャーターして降りようかなとか、剛力さんに頼んで背中押してもらおうかとか、いろいろ考えるんですよ、酸素が薄くなって疲れてくると。

その胸突き八丁の越え方というのは、たった一つ、目の前の一歩、目の前の一歩、だけ考えて、一切他は何も考えないんです。目の前の一歩、目の前の問題集、目の前の入試典型問題を一題ずつ、一題ずつ解いていく。

これを私がよくいうのは、「蚕はだまって桑を食む」といって、おかいこさんは、ただ黙々とシャカシャカと桑を食べてて、そのエネルギーで繭(まゆ)を口から出してやがて、春になったら繭から出て、ガになって羽が生えて飛んでいくわけです。

だから、繭をつくって、繭から離れて空を飛ぶためには、今は黙々と桑の葉っぱを食べるしかしかたないときに、私はなんで桑の葉っぱを食べるのか。桑があったからといって、いったいこれ繭ができて、ちゃんと無事に脱皮できるんだろうか。わたしちゃんと飛べるんだろうか。飛んで何やるんだろうかと考えながら、おかいこさんは葉っぱくっているかっていうんですよ。

ただ黙々と目の前の葉っぱを食べているように、受験生は黙々と目の前の問題集を解き続けると。それができないんですよ。

しかし、この時期は自分だけじゃなくって全ての全国の受験生が同じ心理なんです。隋の時代に始まった科挙の試験というのは、何万人に一人しか通らないんで、その時代からずーっと何千年変わらない受験生の共通心理です。

みな受験というのは自滅して失敗するんです。入試典型問題を一定以上の量を解いて、一定時間勉強したら誰でも不合格にならないです。不合格にならないということは、どこか受けたら、一定以上のレベルのところどこか必ず通るんです。

風邪ひくとか何かで、第一志望ダメでも、それに匹敵する第二志望でも合格しますから。まあ8割から9割は合格します。

落ちない勉強方法をするのはいいんですけど、これで通るんだろうか、どうなんだろうかと考えて自滅して勉強が手につかなくなるんです。
「蚕はだまって桑を食む」
目の前のものを黙々と解いていくというのは、いかに難しいことか。

禅のお坊さんで、こういう話しがあります。
「あたしはいろいろと悩み事があってね、仕事が手につかないんです、お坊さん。どうしたらあたしは、悩み事がいっぱいあって手につかないのが、仕事が手につきますか」という質問に対して

禅のお坊さんの答えはひとつ、
「あー、そうか。いろいろ考える余地がないくらいに仕事しろ」と。

人って、目の前の仕事に集中していないから、要するに暇だから、あれこれあれこれ考えるんです。いろいろ悩みがあって、仕事が手につかないんじゃないです。仕事に専念していないから、いろいろ考えるんです。

やっていたら、しなきゃならないこと一つ一つなんで、要するに人間というのは暇だから悩む、暇だから考える。

「小人閑居にしてこれ不善をなす」
忙しくしておったら、やること一つなんですね。

受験生というのは、そういうことで、秋になってくると、そういう季節なんですね。常に不安と心配と恐怖と、そして胸突き八丁になってくると、こんなことやってどうなるのかっていう、要するに空回りするんです。

それで、正直にどうなのかっていうと、人の心理は逃避するんです。逃避の一つが志望校を下げよう、それか受験勉強なんかやめよう、次に大学なんか通ってどうするんか、高校なんか通ってどうするんか、受験が全てじゃないじゃないか。大学が全てじゃないじゃないか。何で行かなきゃないかんのかというふうなことを考える。

東大がって、東大が全てじゃないし、大学が全てじゃないだろう、というふうに頭の中の逃避が始まるんですよ。

もし、東大が全てじゃないっていうのなら、東大に通ってからいってくれ。早慶、早慶っていうんだけど、早慶が何だというなら、早慶に合格していうんならかっこいいんだけど。合格しない人間がいうと、これ負け犬の遠吠えっていうんですよ。

大学行って何になる、と大学生がいうのはいいんですよ。大学いってない人間がいうのは負け犬の遠吠えです。それは自分があえて選択してこの道行くっていうのはいいんですけど、しかたなく大学行かなくなったというのは、これはやっぱり負け犬の遠吠えなんで、通ってからやめて、あえて違う道に行くっていうのは、これはかっこいいですよ。

そういう負け犬の遠吠えのようなことをいっちゃいかん。

だから、そういうことで、この時期はみんなそうなるんですよ。日本全国ぜんぶそうです。38年予備校の校長先生やってますけど、私も含めて何百年、明治時代の一高、二高、三高いってた人も、江戸時代の昌平黌、その前の藤原・・・勧学院、空海のつくった綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)はどうだったか知りませんけど。

やっぱり競争があるところはみなそうですよ。それを越えた人が、選抜された優秀な学校に行けるわけだから、その自分との戦いっていうのがあるのが受験の素晴らしいところだ。

だから、受験っていうのは素晴らしいもんでね。受験できる授業料を親が出してくれる。それで4年間それだけの自分の好きなことできて、遊びもできて勉強もできるっていう時間をもらえたということはありがたく感謝しなければならないことで、行きたくても行けない人がいっぱいいるわけですよ。

世界中には、行きたくても行けない人がいっぱいいるわけです。そういうことを考えずに、受験の悩みなんてことはぜいたくな悩みでね。

これは、このぐれちゃったナッツーさんはですね、自分だけが大変だと、私がぐれちゃったと思うんですけど、日本全国の受験生、11月にはみな胸突き八丁で、皆ぐれています。自分だけじゃないんだ、日本全国の人間皆そうなんだ。何十年間も何百年間も皆この時期はそうなるんですよ。

その中でひとり冷静に、「蚕はだまって桑を食む」黙々と問題をやり続けた人間が、実力つくから、一番に大学に入れる。それだけのことなんです。

そして12月になってくるとどうなるかというと、恐怖とパニックですね。そして、1月になってきたらもうボーッとなっちゃって手がつかなくなります。だから普通の予備校は9月になったら出てこなくなって、12月くらいになったらほとんど1/3も来ないです。

みすず学苑は3月の中旬まで来させますからね。家にいても絶対勉強していない。僕がそうでしたから。家にいて通ったのか通っていないのか気になって、ボーッとして手が動いていませんよ。

だから、家では絶対勉強していないからといって、ご父兄にもいって、無理やり出てきて、とにかく人がいる前で、適度な緊張感をもってやったらやれるんですね。皆さんそうなんです。

だから、いろいろとぐれてしまってダメダメということではない。皆さんこの時期ぐれている。人間関係があまりよくない、ひとりになったらどうしようっていうのは要するに、精神構造が心配であり空回りをしているときなんで、人間関係があまりよくないと思ってそういうふうに不安神経症になって、皆さんそういうふうに思うんです。ちょっとしたことが。

今は普通の精神状態じゃないんだと思って、3月になって試験が終ったり、受験やめたと思ったらたちまち人間関係よくなるし、こんなこと思わなくなるんです。受験生のこの時期だからこそ。

現役生もこの時期そうですけど、浪人生になってくるとこの3倍ですよ。二浪になってきたらさらに3乗です。それは誰でもそうなんだと。どんな人でもこの時期そうなるんだと思って、自分だけじゃないよと思うことが、まず大事なんですね。

自分の性格とか人間関係なんかがよくなるはずがないし、性格なんか変わるはずないですよ。性格は変えるもんじゃない。アラが目立たないようにすると(笑)。

なるべく長所を出して、性格がゆがんだまま明るく元気に幸せに生きていく。ゆがんだ性格はなおるわけないですよ。小っちゃい子ならいいんだけどね。10代後半から性格ががらっと変わったなんていうことはあり得ないことなんで、性格はゆがんだまま、変わったまま、明るく元気にアラが目立たないように隠して、いいところを前に出して生きていく人生なんで。

そういうふうに考えた方がよりポジティブな考え方なんで、性格を変える必要ありません。今の性質のまま、ゆがんだまま長所を活かしていく。

性格を変えるなんていうのは、「三つ子の魂百まで」でね。赤ちゃんでもね、ギャーギャー、ギャーギャーいう子っていうのはDNAですね。

そういうことで、突然、変わろうと思わないのに変わっちゃったりしますよ。環境がね。ですから、変えなきゃなんて思わないこと。性格とか人間関係なんかよくなるわけないんで、そう思っておるだけのことですよ。

みんなはどうなのか聞いてみたら、いや○○ちゃんはすごくいい性質で、人間関係なんかもいいと思うんだけども、自分がダメだと思っているだけじゃないの。っていわれると、「なんだそうなのか」。ほとんどが思い込みってこと多いですよね。受験生は皆そう。思い込む。

ということで、また受験生についてはいろんなアドバイスがあるんで、お話ししたいと思います。




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2015年12月 8日 (火)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2015年12月4日後半

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。

2015年12月4日放送分、今回のテーマは「海外旅行」。後半部分を書き取りました。


今週もたくさんのメールをいただきました。ありがとうございます。後半もメールを紹介いたしますね。

ペンネーム、「通訳になりたいのに」。
四〇代、女性。
私は昔から悪癖が抜けずに困っています。それは何故かわかりませんが、自分が決して成功しないように、自分で仕向けているような感じなのです。例えば何かの技能を身につけるためには反復して練習するしかないとわかっているのにサボってしまいます。

学生時代も、宿題をやらなくては自分が困ることになるとわかっているのに、やらないまま学校へ行き、ダメなヤツだといわれたところで、やっぱり私はダメなんだと、納得し、それで安心するようなことがあった・・・。

このまでは仕事としてやっていける技術を身につけることもできませんし、人生に行き詰まってしまうと悩んでしまいます。改善するためのアドバイスをいただけたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

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これ、悪癖というよりも、ごく普通ですよ。普通の人です。私立文系の人ってみんなこんなもんです。私もまったくこれと同じでした。これを改善するのはどうなのかっていうのは、よき先生につく。

絶対に励ましたり、勇気づけたり、そして締め切りをつくって「これだけやってきなさい」。やったら褒めてくれる、「やれるんだからね」。さぼったら、「そんなんでいいと思っているのか」とうかたちで、ときに優しく、ときに厳しく。

勉強するとか、習得するように導いてくれるいい先生につくと、意外に自分でも思わないような能力が身につく。いい先生につくということがひとつ。

もうひとつは、いい環境に自分を置くということなんです。たとえば、英語がうまくなろうと思ったら、ずっと英語ばっかりしゃべっている外国に住んだらいいんですよ。

外国に住んで、日本人と絶対接触しなければ、使わざるを得なくなる。英語は、ねばならないという環境にいたら覚えられるもんだから、買い物して、食事して、あるいはまた外国人と結婚すると、言葉通じないところを結婚生活できないんで、なんとか通じるようにって勉強するじゃないですか。

そういう環境に自分の身を置くんですね。いい先生につくことと、いい環境に自分の身を置くことによって、技能が身につきますね。

通訳になりたいうのなら、国内でいい先生とか、いい教育機関に巡り合わないんだったら、もう思いきってアメリカでもイギリスでもそういう学校に行って、周辺に日本人が絶対いないように。日本人がいると、つい日本語しゃべっちゃうから。

留学して失敗するのは、日本人同士が仲良くなって、そこで不安な気持ちがあるから恋をして、勉強そっちのけで。

帰ってきたらどこにでもいる普通の人だったと思って、留学から帰ってきたらたちまち分かれる。で、あの留学のときはいったい何だったんだと。孤独と不安ときに逃避していたんです、恋愛にね。

だから留学っていうのは、はっきりとした目的を持って、絶対日本人と接触しないで、ネイティブな中に絶対にいて、貫き通すっていう環境をもっていたら、話さざるを得なくなるのでうまくなりますよ。

そして、三つ目は何かというと、完璧を求めないことなんですね。今日よりも明日、明後日よりも明明後日、伸びていたらいいんだというふうになってくると。

僕も大学四年間英語、ESSで。それやめると父親が授業料出さないからって、親と喧嘩していったんです。で、自分がやりたいという人はみんなすぐにやめちゃって、僕は親と喧嘩して、そこでなければ授業料出さないっていうから、やめられないんだよね。

好きでやった人は、好きでなくなったら辞めるんです。興味を持ってやった人は興味がなくなったらやめるんです。意義を見いだしている人は意義を見いださなくなったらやめるんです。

ものを続けることは、好き嫌い関係ない、興味あるなし関係ない、有意義か有意義でないか関係ない。やらねばならないという、やること自体が貴いからやると。

これやっぱり、義の心ですね。好きこそものの上手なり、とか。楽しくやるのにはかなわないっていうことばもあります、論語にもね。

でも、嫌いになったら続かないんです。興味がなくなったら続かないんです。意義を見いださなくなったら続かないんです。

なんとか、続けてたらうまくなるもんなんです、人間っていうのは。そういう続け方というのは、三つの法則、堅・誠・恒というのね。

堅は堅忍不抜の意志を持ち、恒は恒久平和の恒です。恒は二種類あるんです、コンスタントリーにやり続けるというのと、サクセスフリーにやり続ける。降ったりやんだり、降ったりやんだり、しながらやめない、と。

誠は、誠実にものに取り組んでいく。

堅・誠・恒の三つがあると、道は成就するといわれているんですね。

そのためには、いい先生につく。いい先生とは、やる気を与えてくれる、甘えたときには、適度に厳しくいってくれたり、励ましてくれたりと。いい先生についたらピアノでもバイオリンでも語学でもね、ものになるんです。

それと、環境です。自分がねばならないという、そういう予備校とか学校とか海外とかに身を置くと、物事を成就できます。

それから、最終的には100%完璧を求めるとですね、ダメだと思って続かなくなるので。継続していると、今日よりも明日進歩していると最後は、技能は習得できる。

徒然草にこういう文句があってね。物事が、語学が堪能という、堪能の教えというんでね。

「はじめはふかんのおぼえありとも、上手のなかに混じりて、道をたがえず精進すればやがて、名人、師と仰がれる人ととなる」

徒然草の文句にあるのは、下手だとか、恥ずかしいとか、黙ってこっそりと、蹴鞠とかなんとか勉強して、習得できて驚かしてやろうと思ってやるのは、絶対に名人とか達人になれませんよ。

物事が堪能な人っていうのは、はじめから上手な中に混じって、ふかんのおぼえ、というのは下手だとかバカだとか、こんなんよくやっているなというかたちで。そういう上手な中に混じってボロクソにいわれながら、道をたがえず正しく精進すると、その人はやがて名人とか、達人といわれる人になると。

だから、はじめから下手くそだといわれててもいいから、上手の人の中に混じって、道をたがえずずっと努力して継続していたら、その人は名人、達人になるんだと。

技能といっても最高級にいく人は、上手な人の中に混じって、やっぱりボロクソにいわれてきて、あーじゃこーじゃといわれて堪え忍んできた人が最高級にいくんです。

黙って上手になって、人を驚かしてやろうというのは絶対物事を習得できません。これが最後、技能を習得していくコツなんで。僕もいつもそういうふうに心がけて、いい先生に常について、謙虚に、そして、そういうねばならない環境、締め切りです。

コンサートやります、って発表して、チケット売ったら、あとへ引き下がれないでしょう。それから、「あーどうしょうかな~」と。

英語で発表しますっていって人を集めたら、やらざるを得なくなるでしょう。「いってしまったものは、しょうがない」という環境に置くと、自分が締め切り効果で頑張って、「なんとしてもどうだー」ってやったら、「やー、よかったです」って。

なんか、余裕を持ってやっているようですが、実はそういうふにしないと、英語で話ししないし、そういうふうにしないと、歌を歌わないからね。そいうお客さん呼んで、切符をかって、場所をやったら、逃げ道なくなるから、私もやれるわけだ。

そういうふうに、この方は私とまったく同じ性質です。これは悪い癖じゃない、普通の性質。だからそれを踏まえて、ポジティブに考えて、締め切り効果を上手に踏まえてですね、はじめから一気に上手になろうと思わない、いい先生につく、いい環境、そして締め切り効果、そして完璧を求めずに継続していく、と。どこまでもやめない。

そうすれば絶対に、下手ながらやり続けてたらうまくなる。その壁を越えた分だけしか、一流にも名人にもなれないんです。みな同じような位置にいますのでね。

これが技術を習得するコツということがいえますね。これが私のアドバイスです。




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2015年12月 6日 (日)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2015年12月4日前半

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。

2015年12月4日放送分、今回のテーマは「海外旅行」。前半部分を書き取りました。


日本は島国。海外旅行には海を越える。

大陸は地続きで国が接しているので、海外旅行と呼ばないんでしょうか、といってね、放送作家さんがいうんですよ。

大陸の場合は、「かいがいしく旅行」ていうんです・・・。って笑っていました。

年末年始は、海外旅行を計画している人も多いんじゃないかということでして、今日はそういう話をしたいと思います。

こんなメールがきました。
ペンネーム、ラベンダージェリーさん。
二〇代、男性の方。
こんばんは、深見東州さん。家族でいつか海外旅行に行こうと思っているんですが、深見東州さんは海外でどこかお薦めの場所はありますか。できましたら、ベスト5くらいを教えていただきたいです。
また、その場所でお薦めの自然のスポット、レストラン、そしてアクティビティなどございましたら、それらのことも教えていただけるとありがたいです。

ベスト5といってもですね、みんな価値観が違うんで、ゴルフが好きな人はいろんな国のいろんなゴルフ場に行きたいということで、ゴルフ場のいいところへ行くし、リゾートの人はみなリゾートで、遺跡の人というのはみな遺跡。自然のきれいな人は自然のきれいなところばっかり行ったりするんで、

ベスト5といっても、その基準でどうなるかによって違う。ただひとついえることは、若いときの海外旅行は一生のヒントですね。一生の宝物です。

年とってからの海外旅行は冥土のみやげですね。死ぬまでにあそこは行っておきたかったということで。

そういうことで、創作したり、いろいろヒントになるところを考えますと、若いときに行く海外旅行というのはニューヨークとか、パリとか、イタリア、ロンドン。こういうふうなところの都市とか人々とか文化、文明、そういうようなものを若いときにいて、吸収すると、中年以降の仕事とか創作とか、自分がものを考えていくひとつの基準になるんで。

そういう意味では、そういうところを海外旅行で行くのがお薦めですね。ところが、中高年になってくるとどうなのかと考えると、これだけは見たほうがいいんじゃないかと、やっぱり、衝撃といえるようなすごい感動というのは、人生観が変わって、「へー、こんなところがあって、こんな歴史があって」、驚きと感動というね。

「信じられないな、こんなものが地球上にあったんだ」「こんなものが世の中にあり、人類にあったんだ」というようなところは絶対に見ておいたほうがいいですよね。

そういうようなことを考えますと、私はいくつか皆さんに絶対見ておいたほうがいいんじゃないか、というようなものはありますね。

それはなにかというと、まずピラミッド、スフィンクス。これが紀元前一千年前に、「こんなものが、人間つくったのか」ということですね。 人間がこんなものつくって成り立つのかっていうようなものは、やっぱり人生観変わりますね。

それから、ローマに行きますと、紀元前というのが普通で、紀元以降、イエス・キリストが生まれて以降は、これは新しい建物で、って。紀元二世紀とか三世紀というのは関羽とか張飛とか諸葛孔明がいたっていうのが三世紀ですからね。

ところがローマなんかに行くと、紀元三世紀ってごく最近のこと。だから紀元前のときに、シーザーとか共和政治がおったと。シーザーの館ってまだ残っていますから。イエス・キリストが生まれる前ですから。

ギリシャっていうのは紀元前五世紀が最盛期なので、なんか卑弥呼の時代が古いとか、雄略天皇とかなんとか天皇なんて古そうですけども、桁違いに日本の歴史は新しいんだと。

しかし、それよりも縄文時代っていうのは紀元前2000年ぐらいに、八ヶ岳だとか、縄文文化があります。今から8000年くらい前に、世界最古の燻製工場。BC5000年くらいに世界最古の漆の首飾りが北海道の遺跡があって、それ焼けちゃいましたけどね。

縄文時代になってくると、日本も、12000年くらい前の縄文土器がありますんで、中国と日本のどちらが古いかの古さの競争をしているくらいですから。

だけど、「近代文明というのはすごいんだ」ということは、ローマの遺跡見たら世界観変わりますよ。そして、紀元一世紀にパンテオンという完璧なドームを造って、上に穴があいて、雨が降ってきたら、アールのかたちになっているから、水が流れていく。というのはAD一世紀ですから。

「こんな建築造っていたんか」というかたちの衝撃ですね。ですから、エジプト、ピラミッド、それからエジプトの美術館いったツタンカーメンみたら、「この年代にこんなのか」

次にお薦めなのがローマの遺跡見て、「何、シーザーのいた館が残っていたのか」。それから、フィレンツェに行きますと、ドゥオモというのが。そこが実はギリシャの島から来たエトルリア人というのが、エトルリア王の時代が6代続いて、そこからフィレンツェ、ローマにおりてきて。

実はヨーロッパには3つの故郷があるわけです。一つは、軍隊と政治と法律というのは、だいたいローマ帝国からきたわけです。ローマはどこから来たかというと、ギリシャからきたわけです。

だから、ヨーロッパの芸術というのは、だいたいギリシャからきたわけです。政治的には、ギリシャはローマに滅ぼされたんですけれども、中身はギリシャに征服されたといわれているんです。

ギリシャ文化があまりにも偉大で素晴らしかったんで、ローマ人の中身が全部ギリシャ文明になったんです。政治的にローマは、ギリシャを征服したけども、中身はギリシャに征服されたと。

それぐらい大きなヨーロッパの故郷はギリシャ。まあアテネが中心ですね。英語ではAthensといいますけど。紀元前五世紀にこのエンタシスの柱を造ったのが、パルテノン神殿、イエス・キリストが生まれる500年前、「こんなものを造っていたのか、ギリシャ人は」

あとは、驚くっていうのはいくつもありますけども、カンボジアのアンコールワット。これは世界最大の石の遺跡で、想像以上にデカいですよ。「こんなデカいのが12世紀に造っていたのか」世界最大の石の遺跡ですよ。これは一回見たら驚きますね。

それから、カナダの湖ですね。マリン湖というのも神秘的ですけども、ペイトー湖というのは、淡いブルーで、カナダのほんとうにきれいな湖みてみたら、ロッキー山脈を中心に、こんなきれいな湖が、見たことないっていうような湖があります。

スイスのレマン湖もきれいっていいますけども、比じゃないですね、カナダの。自然でみたら、カナダのそれ以上のところはなかなかないですね。

スイスのマッターホルンとかユングフラウってよく行きますけども、マッターホルンのツェルマットのスイスのフォンデュ料理。これはほんとうにおいしいですね。ぜひ、山といったらここへ行くべきだなと思います。

ルーブル博物館のモナリザの微笑を観たときに、観れば観るほど吸い込まれるような、「こんなものをつくっておったのか」ということなんで。

こういうふうな写実的な絵をどんなに描いてもこれには勝てないなと思うんで、印象派みたいにもっと別のジャンルで勝負しないと、どんなに精巧にいい絵を描いても、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロの足下にも及ばないんで、始めから勝負しようと思わないことですね。

違うところでやったほうがいいなと、絵を描く人は。

ミケランジェロのほうが芸術家としては上ですけどね。レオナルド・ダ・ヴィンチの本物の絵を観たときの驚きというのは、絵を描く人にとっては、大きなひとつの刺激ですね。

どういうふうにいいのかっていうのは、この時代にこれだけやっているのに、新しく自分たちがやっても意味ないんじゃないか、それより写真撮った方がいいなと。よほど写真のほうが写実的にできるんで。

じゃ、絵って何なんだろうかと考えさせられますよね。ですから、課題によっていろいろみるときあると思うんですけども。

クノッソス宮殿も行きましたけど、いまいちでしたね。それよりもエジプトの文化というのが。エジプトの文化がクノッソス宮殿に来て、ミケーネ文化ができて、そこからギリシャにいったギリシャ文化なんで。

結局、ギリシャ文化のルーツはエジプト文明なんですね。エジプトを知らずして、ヨーロッパの文明を語れませんので、絶対いくべきです、ここエジプト。

それからギリシャのアテネですよね。アテネ美術館の観たらほんとう驚きますね。それから、カンボジアのアンコールワット。自然ではカナダのそこ。あとは若いうちには、ニューヨーク、ロンドン、パリ、イタリアのフィレンツェ、ローマっていうようなものは絶対に観ておかないと。

ローマとか、フィレンツェに行きますとね。特にフィレンツェに行きますと、革製品が安くていいのができるんです。縫製は日本のほうが細かいですよ。

そこに行くと、日本人観光客が多いものだから、いろんな革のおしゃれな色と形で、日本だったら20万円くらいするようなものが、4万円か5万円くらいで売っていますよ。そこに行くと、「いらっしゃいませ」とか日本語で聞いたり、

一番おかしかったのは、「もってけ、どろぼう」というのがいるんですよ。イタリアのフィレンツェのおじさんなんだけど。それ、誰に教えてもらったん?

「日本人が『いらっしゃいませ』ということばだと聞いたんで」

いやそれ、関東の魚屋さんとか、八百屋さんは「もってけ、どろぼう」というんだけど、それをいい日本語だと思って教えられたというんだ。それで、「いらっしゃいませ、こんにちは、どうぞ」というんだけど、一軒だけ「もってけ、どろぼう」という店がありまして、そこは行ってみて面白いんじゃないかと。

バルセロナのサグラダファミリア、ガウディのを観たら、「え-、こんなものをつくったのか」と、あれは驚きます。

あとは、テーマ別にそれぞれ選ばれたらいいんじゃないか、ということで、若い頃と、中高年、まあお年を召したときには、冥土の土産に海外に行くといいし、しかし、日本の食事以上においしいところはないんで、最終的には日本が一番いいなと皆、食べ物はね。

そういうことで、何も言葉なんか心配しないで、ガイドさんについていってもらえばOKですから。心配なさらないで、大いに正月は海外旅行で新しい体験をして、人生に感動のヒダをたくさん残していただきたいなと思います。




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2015年12月 2日 (水)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2015年11月27日後半

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。

2015年11月27日放送分、今回のテーマは「物語を作る」。後半部分を書き取りました。


先ほどの高橋源一郎さんの本の正式名を調べて、ちょっと違っておりましたね「一億三千万人のための小説教室」ですね。

それではですね、お便りを紹介いたしましょう。
ペンネーム、ウエストスノーさん。
四〇代女性、主婦ですね。

深見さん、ラジオ新番組おめでとうございます。なんでも質問してよいということで、気になることを質問いたします。私は、寝て起きたら、めちゃめちゃ怒った顔しています。

「んー、普段でもそうじゃないかと思うんですが」

もー、眉間のしわも赤く、あとがつくほどです。恐い夢を見たからというわけではないのですが、心の持ち方が寝顔に出るのか、寝かたが悪いのか、なおしたいのですが、どうしたらよいのかわかりません。このままだと普段の顔にもしわが入ってしまいそうです。どうしたらいいか教えてください。

なかなか興味深い話しですね。僕は寝相っていうのは地球一周するんですね、ちっちゃいときから。あの、まともに寝たことないです。ふとんも全部はぎますし、ズボンも脱いで、パンツも脱いで、また朝起きるときは、はいてキッチリして。

それからグルグルグルっと一周しますね。ですから、ほんとに世界地図を小さいときは描いていますけど、今は世界一周しているんで、起きたときは頭も顔も眉毛もぐちゃぐちゃですね。でも、恐い顔じゃありません。明るい顔です。

これ、どうしたらいいかというとですね。イメージは実現化するとかいう本を一世を風靡してですね。今もよくそういう本出ています。そのルーツはですね。唯識論にあるんですね、仏教のね。

唯識論というのは、世の中というものの実体は宇宙の意識、仏様の意識がすべて物質化したもんだと。世の中の、宇宙の実体は意識である。だから唯識、意識の論ですね。これ唯識論というのが瑜伽論になってきて、瑜伽論はヨガ論ですね。

要するに三蔵法師さんが天竺にいったのは、この瑜伽論を勉強するために、ヨガを勉強するために。ヨガっていうのは唯識派の一種ともいわれるわけですね。

それはすべて意識が現れている。いい意識を持ってずーっと強く思っているとですね、念じ続けると、だいたい六年ぐらい経つと、それが実現化するといわれているんですね、長くてね。

三ヶ月、六ヶ月、三年、六年、だいたい六年ぐらい思い続けると、そのイメージしたものが現実界に起きてくる。これ唯識派ではね、そういうようなことをいっている人がおりまして。

要するに、イメージトレーニングというじゃありませんか。ゴルフでも野球でも、特にゴルフなんかは、イメージが大事だというんで、アスリートなんかはずーっとイメージトレーニング、メンタルトレーナーなんていうのは主にイメージトレーニングですよ。

イメージというのが、真言密教なんかでは、観想法。観察の観と想念の想ですね。イメージしたものが、グーッと凝結すると、密教で霊力もってくる。そのイメージ力、観想法、これは全部関連している。唯識派に代表するものの考え方なんです。

ちょっと専門的な話になりましたけど、この方はですね、ウエストスノーさんね、寝るときにいいイメージ、あしたはこんな素晴らしいことがあって、来週はこうで、今年はこういうふうに、クリスマスこうしてって、イメージをずーっと、いいイメージ、ポジティブな、明るい前向きなイメージを、こうずーっとしながら寝るとですね、絶対ニコニコした顔ですよ。

前向きなイメージ、明日はこんな素晴らしいことが、素晴らしいことだけをイメージする、明日、来週、今月、来年、そして自分の晩年。ずーっときっと素晴らしくなるに違いない、きっとそうなるぞと思って、自分で意図的にイメージを作って寝る練習をしているとですね。

メンタルトレーニングですよね、スポーツでいう。要するにイメージトレーニング、密教でいう観想法、それから「想念は実現する」。全部ルーツはそういうところのものを応用している。

ですから、経験則でそう感じている人も多いでしょ。そうやって、意図的に寝るときにイメージしてるとですね、一番いい顔で寝てるんですよ。だんだんだんだん起きてきたときに、輝くような素晴らしい顔になりますよ。

寝るときにどういうイメージをして寝るか、なんです。そういうイメージをして寝る訓練をしていますと、しばらくしたら、逆に眉間から後光がさしているとかね。顔がニコニコして、一番いい顔でできるんで、いつもいいイメージを持っている人というのは、いい顔していますよ。

寝る前のイメージのトレーニングをしていくことによって、こういう風なものは改まっていくし、ほんとうに五年六年したら、イメージしたことが実現していく。

でもこのね、イメージトレーニングとか、「想念は実現する」とか、やっている人に欠点があるんです。なぜかというと、なんかいいことがあったとしたら、ありがとうございますって普通感謝するでしょう。ところが人がやってくれたお陰でできているのに、自分のイメージが実現化したんだと思うんです。

イメージトレーニングばっかりやった人の欠点は傲慢になって、人が助けてくれても、みんなの協力ができてもですね、イメージが実現したということしか思わないものですから、礼儀を失する、傲慢で、人への感謝が足りない。

人間の努力というところを、なんでもイメージが実現したということばっかりに感心しているという、これ欠点があるわけです。

その欠点がわかった上で、イメージをよくしていって、やっぱりイメージがあっても、現実は人間が協力し、助けてくれて、チャンスというものは作るけども、人が動かないといいこと起きないんで。

それがイメージトレーニングとか、想念術やっている人の欠点ですね。そこをわかった上でやってくださいね。

なんでもいいことがあったら人に感謝して。自分のイメージが実現したんだっていったら、勝手にやってくれって思われますから。

ということで、これからそういうかたちでぐっすり寝たら、出たしわが消えていくんじゃないかと思います。年々、日に日に若くなっていくんじゃない。そう思います。




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