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2015年12月29日 (火)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2015年12月25日前半

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。

2015年12月25日放送分、今回のテーマは「クリスマス」。前半部分を書き取りました。


メリークリスマス。メリークリスマス。メリークリスマス。メリー、メリー、メリーさん元気ですか。メリークリスマス。
メリーさんのひつじ、ひつじ♪
先進まないな。とにかく、メリークリスマス。
深見東州でございます。

メリークリスマスというのは、キリスト教から由来して、みなさんご存じですね。クリスというのはキリストのことです。ジーザス・クライスト、そのクライストが、クリストになって、キリストっていうんで。まあ、カタカナ表記の前に、英語がある前にもちろんギリシャ語ですけどね。ギリシャ語の前は、もちろんヘブライ語でしょうけどね。

今の人びとはクリスマスをおおいに楽しんでいるんですけどね。クリスチャンのクリスマスとかイブとか見たことあるんですね。必ずロウソクがでてきて、厳粛な賛美歌を歌ってね、賛美歌ってよくみたら、全部イエスさまとかマリアさまに対する賛美か、という感じですね。

今笑い声が聞こえましたけど、放送作家の東海林さんです。よろしく、どうぞ。

「よろしくお願いします」(東海林さん)

ほんとに、キリスト教の人たちの厳粛な宗教的な行事の、ロウソクを灯して、賛美歌を歌って、祈りを捧げるというのは。これはこれでほんとうに、信仰心の心からの表れとして、イエス・キリストの生誕を祝うっていう、厳粛ないいものですね。

それ以外のパーティーとか儀式化しているんで、それは変だという人がいるかもしれないんだけど、これはものを知らない人の理解力です。

ほんとうはですね、キリストがこの時に生まれたかどうなのか、はっきりしないんですよ。こういうときにクリスマスを祝うっていうことは、だいたいこの時っていうのは、イエス・キリストが生まれたのは、A.D4年かな。そのもっと前からこういう信仰がずっとあったわけですね。伝承、神話、説話があったわけです。

ところが、われわれ東洋の易とか歴史とか哲学、勉強しているものにとってみたら、それはそうでしょう。

イエス・キリストが生まれてきたのは、どういうことかっていうと、宗教史の中ではね、それまではユダヤ教の中に戒律っていうのがあったわけです。

モーゼの十戒、何回これをいったかというと、十回いったというんですけど。モーゼっていうのは、紀元前1300年くらい前かな。

その十戒がでて、六百数十種類の戒律というのがあったんです。戒律のための戒律があったんで、いったい何のための戒律なのかと。神さまはなぜ戒律というものを人間にくだしたのか。

それは、愛によってくだしたんだと。だから、戒律のための戒律となっていたユダヤ教のみなさんに対して、本来の原点に戻れということで、イエスが、戒律がくだされた理由は神の愛によって人びとのために戒律くだされたので、戒律のための戒律じゃないよ。

ということでですね、戒律に対して愛というものを歴史上はじめていったところが、宗教史に残るイエス・キリストの画期的な足跡なわけですね。

ですから、戒律に対する愛、その愛があるならば、安息日でもお医者さんが子供の治療をしてもいいじゃないかと。もう命があぶないというわけだから。

安息日になってきたら、ユダヤ教教徒というのが、目の前で人が死にそうなときでも医者は仕事してはいけない、労働してはいけないと。

ですから、テレビのスイッチも入れちゃいけないと、厳格に守っている人は。じゃ誰かにスイッチ入れてもらうと(笑)。誰かに、おいスイッチ入れてくれと。

そういうふうにまあ、厳格に戒律を守る人はそうなんです。そういうことで、スイッチ入れるのは愛かどうか考えて。

歴史上はじめて戒律に対する愛というものをいった。それが、ペトロとパウロがいて、ペトロは一緒にイエス・キリストと殉教した。パウロという人は、ギリシャ哲学を勉強しておった学者さんみたいな人で、実際にイエス・キリストと会ったことないです。

馬で乗っているときに、イエス・キリストの神霊と出会って落馬してね、イエス・キリストが直接いわれたというんで。

これが、このイエスの教えというものは、戒律に対して愛というユダヤ人だけに広められたものが、もっと普遍的な中身があるから、ユダヤ人以外にもこれを広めるべきだということで、今日の世界宗教になったわけです。

イエス・キリストというのは、特に、そういうものを考えずに、弟子のパウロがそうしていこうと広めたわけなんですね。

ですから、イエス・キリストをクリスチャンが祝うのはそのイエス・キリスト。人類史上はじめて戒律に対して愛というものを人類に残された、その偉大なるものはクリスチャンであってもクリスチャンでなくても、そのイエス・キリストの偉大さっていうのは何びとも否定できないですけどね。

でもですよ、そのもっと前からクリスマスの儀式っていうにはあったわけです。我々が、っていうと変ですけど、東洋哲学とか勉強している人間はそらそうでしょうと。だいたい、12月22日なんですけどね、冬至の日です。

当時から冬至っていうのはあったわけですね。冬至る、日が一番短いときですね。12月22日は、冬至なんですけど、冬至というのは易経でいうと、易は乾と坤があって、乾坤、天と地。乾の中にも三つの卦があって、坤の中にも三つの卦があって、これ六つの卦で、循環していくわけですね。それで、陰陽のバランスでいくと。

太極が分かれて陰陽、陰の中に陰陽があり、陽の中に陰陽がある。そこからまた分かれて陰の中にも陰陽があってと。八つの陰陽が分かれていったんで、ハッパ六十四。六十四の卦で森羅万象全部説明しているというのが易経なんです。

易経は同時に、循環するという意味なんです。その易経がですね、陰遁(いんとん)から陽遁(ようとん)に変わっていく、陰極まりて陽なんで、冬の至りっていうのはその時に春がやってくる。これが一陽来復といわれている。

だから、乾と坤が六つの卦の中に、乾も陰、坤も陰、陰の極まりが冬至でですね、そこからパッと一陽が復ってくる。そこから春が始まっている。

だから、一陽来復というのはお目出たいものの始まりなんですけど、その陰が極まりた極致、すなわち悲しみの極致とか、不幸の極致とか、荒廃の極致というんだけども、極致の次には、陰極まれば陽。必ず新しいものが出てくる。新しいものが生まれてくる予兆がでてくる。それが一陽。

その一陽を大切にして、3月か4月には本当の春が来るんですけども、春は、冬至の陰極まりたそのときから一陽が復ってきた。この一陽を大切に温めて、まだそのときは形がない、目に見えないところですけども、春が始まっているわけです。

形が出てくるのは、3月、4月でしょ。そういうところで、一陽を大切にしていこうと。
芽生えた不幸の中から、つかみ取ったこの陽、幸せの芽、発展の芽。この芽を大事にしていこう、微かなもんだけどね。というので一陽来復が、ほんとうに新しい幸せの芽として大事にするわけですよ。

その時と同じなんですよ、昔から。だから、12月22日から24日のこのあたりっていうのは、東洋の易経で、それを知ってる東洋人、中国人、もちろん日本も太古はそうだったんですけど、同じように感じている人がおったわけですね。

それイエス・キリストの生誕するもっと前から、人びとはそういうふうにしておった。だから、クリスマスは、そういう意味で、クリスチャンだけじゃなくって、東洋人がそして、世界の歴史の中でこの時期というのは、寒さの極まるときなんだけどもそこから春がやって来ますよって。

サンタクロースも実は北極星から来るんですけども、易経で太極っていうのは北極星ですから、そこから新しい目に見えない春と、幸せがやって来る。

不幸の極まりの時に、幸せがやって来る。逆に陽極まりて陰、幸せの極致の時に不幸の瓦解が始まっている。それを戒めなきゃいけないと。これが易経の心です。

古代の人は、中国人みたいに理屈でいわなくてもよくわかっていたわけなんで、そういうことで、クリスマスっていうのは、イエス・キリストの誕生の前から祝っていたわけですよ。

だから、これは宗教の宗派を超えた、みんなが厳粛に楽しまなきゃいけないということでしてね。

今週のテーマは、2015年、今年もあと6日、どんな年だったか振り返りましょう、っていうんだけども。このように放送作家の東海林さんから出たのが、本当に浅い、普通な、平凡なね(笑)、自分でも、宗教でも、占いでも何でもいい、自分が救われると思いながら信じればいいのでは、なんて書いてある。素敵なクリスマスの夜を過ごしているか。みんながクリスマスが素敵な夜になるように。っていうことをね、書いてある。

なるべく放送作家の書いた台本とは違うことをいう努力をしている、これがね。でもそういうことなんで、キリスト教の厳粛なクリスマスも素晴らしいけども、実はもっと前からあることなんで、結局そこからなかなか話しが進まないんだけども。

クリスマスイブって、放送作家の東海林さんが、25日が本当のクリスマスで、イブは前夜祭だからね、みんなどんちゃん騒ぎするでしょう、っていって。

そんな、浅はかなこというなあ、放送作家は。無理もない、平凡だな、普通だな。なぜクリスマスイブ、あるいは前夜祭を大事にするかというのは、昔の人は一日の始まりは前の日の夜から始まる、日が落ちて夜になったら、夜から次の日が始まると考えておった。

朝、ガーっと起きたらその日が始まるじゃないです。夜から次の日が始まる。要するに日没したら次の日がもう始まっているんだということなんで。

ですから、イブっていうのは前夜祭じゃなくってですね、いわばオープニングなんですよ。だからクリスマスイブっていうのは前夜祭じゃなくって、25日のイエス・キリストの生まれた日が始まっているんです。クリスマスが始まったということを喜んでいるんで。

前夜祭っていうのは、前の日を喜ぶとか、お祝いするんじゃなくって、その日が始まったということなんですね。

大晦日も考えてみたら、その日が始まったということなんですね、欧米で。しかし、日本の場合の大晦日とかユダヤ人の大晦日っていうのは、また別な意味があるんで、また別の機会にお話しいたしましょう。


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