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2015年11月29日 (日)

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2015年11月27日前半

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
提供:たちばな出版 みすず学苑
事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”です。

2015年11月27日放送分、今回のテーマは「物語を作る」。前半部分を書き取りました。


作詞、作曲、小説などを書く、何かをつくるときに頭の中でどんなことが起きているんでしょうか。想像力というのは鍛えることができるのか。

最初は自分の経験をもとに文章を書くのもいいかと思いますけど、どうでしょうかみなさん、文章を書く、物語を作るということをお話ししたいんですけども、こんなメールが来たんです。

ペンネーム、どんぐりさん。女性、自営業。
こんばんは、私は東州さんの小説の大ファンです。
東州さんは、小説をお書きになられる前には、たくさんの小説を一気に読まれると、以前お聞きしたことがあるように思います。もしお差し支えなければ後学のために、東州さんがお読みになられた気になる小説のいくつかをご披露いただけないでしょうか。実は私、SF作家を志しておりまして、作家としての心構えや助言などを合わせていただけますと幸いです。どうぞよろしくお願いします。

ということなんですね。
これね、小説といっても二つのパターンがあるんですね。一つは三島由紀夫みたいに、プロットを考えて、登場人物のキャラをメモで書いて。人物を作っていくと、人物がかってに一人歩きしていくと、そういうようなことを北方謙三なんかもね。

人物設定していくと、勝手に小説のなかで人物が育っていくんだ、なんてね。そういうふうにプロットを考えて書いていくというひとつの小説の書き方。

もうひとつは、村松友視みたいに、時代屋の女房を書いた人ですね。あの人なんかは、ほんとうにジャズのノリみたいに、行き当たりばったりで、とにかく筆が赴くまにまに書いていくと。

その時に、御用聞きが来たら、「こんにちはクリーニング屋です」といったら、その時クリーニング屋がやって来て、というふうに入っていくんですって。

書きながら自分で「えー、オレはこんな事思っていたのか」と思いながら、感動しながら、筆が赴くままに書いていって、結局オレはこんな事思っていたのか、って書き終わりながら考えると。

まー、そういうふうな小説を書く人もいます。詩を書く人なんかだいたいそうですね。はじめにこれ書いて、これ書いてこれ書いて、頭でプロットを考えて書いていくという人と、ひらめいてくるものをそのまま書く。

まあ、本当はプロットも考えながら、あるところから筆が走っていく。両方の要素があるんでしょうけどね。

まあ、そういうことで、詩を書くのもそういうふうにして浮かんでくる。実は短歌とか俳句というものも普段からひらめいて書くというふうに思うかもしれませんけど、実はそうではない。

私の経験でもそうですし、私の短歌の先生、岡野弘彦先生、最近短歌あまり作りませんけども、昭和天皇の短歌の先生です。

「岡野先生、あのどうやってつくるんですか、いつもメモを持ってひらめいたときに書くんですか」
「いや、そんなのは締め切りとかあったら、作るときは二日も三日も閉じこもって、飲まず食わずで、徹夜でずーっと書いて、百首くらい読みますよ」

普段から、印象に残ったことをメモはしておくんだけども、短歌としてまとめるのは、締め切りというのがあって、その時にグワーッと作らなきゃいかんということで。

まあ手塚治虫がマンガ、コミック。連載小説している人間。子連れ狼の小池一夫なんかも、顔面蒼白でグワーッと締め切りに合わせて書くみたいに、締め切りというのがなかったら、連載小説している人も、手塚治虫も締め切りがなかったら書けないね、漫画家も小説家も。

実は短歌の人もそうなんです。俳句もそうです。締め切りがあって出さなきゃいかんという目標がないとなかなか書けないもんです。

普段からそういうことに注目して、印象に残ったことをメモしたりします。小説家も取材ということで現場のところ歩いて行ってみたら、こういうシーン、こういうシーン、こういうシーンという形で、書き始めるときは、やはり閉じこもって一気に書くもんなんですね。

でもそれはプロットを考えてずーっと書いていく人と、突然ひらめいて書くという人の二種類あります。

実は修善寺石亭 鬼の栖という会員制の料理旅館がありまして、1食六万円。お正月の時八万円くらいするんですけども。

私が、角川の本だったか、大天運を書いたときですかね。そこに閉じこもって書いていたら、実はこのお部屋は、瀬戸内寂聴さんがよくお泊まりになるところでして、その時に書かれた本がこれでして、って置いてあるの。

実は小説を書くときっていうのは、エネルギーと衝動、ワーッと書くという、そのためにはだいたい一ヶ月間、毎日毎日、小説を読んで読んで読み続けるんですって、四〇冊くらい読むんかな。

書いた人のエネルギーが宿っているから、三〇日か四〇日、毎日毎日小説ばっかり読むんですよ、人様の。そうすると小説のエネルギーが体に入ってきて、ある程度のところまで、臨界点にきたら、ブワーッと奔流のごとく書けるようになって、書き始めたら一気にずーっと書ける。その始めのとっかかりが一番難しいわけです。

なるほど、瀬戸内寂聴さんはそういうふうにして書いたのか、っていうところがその本に書いているわけですね。

あるときに、プレイボーイの編集長で今ライターしている人がおりまして。その人は一ヶ月に三冊も四冊も仕上げるんですよ。

「どうやって、月に三冊も四冊もかけるんですか。僕なんかほんとうに書くの苦労するんですけど。秘訣教えてくださいますか」
「教えてあげましょう」っていってね。

まず、その書かなきゃ、っていうときには、四日間、まあだいたい体の続くかぎり毎日毎日ゴルフするんですって。四日ぐらいやると、体、筋肉ガタガタになっちゃって。「もうこれ以上ゴルフができない」ってなってきて。

次に、事務所の近くのパチンコ屋に行って、朝から晩まで、開店から閉店までずーっと、パチンコばっかり、ずーっと、来る日も来る日も、そうするともうヘロヘロになって、パチンコに没入すると、あるとき、「こんなバカなことやってられるか」となって、事務所に閉じこもって一気にワーッと書き始めるんですって。

やっぱり、月に三冊もあげるようなすごいライターさんの秘訣は、結局、ゴルフ四日間、パチンコが三日から四日。球が少し小さくなると同時に事務所に一歩ずつ近づいているんだろうね。

あー、そうやってるんだ、僕と同じだ。僕も五日間ぐらいは、気のいい本を。まあ、文体がよくって、世界が暗くなんない。読みづらい本じゃない。リズムがいい本を読んでいって、五日ぐらいずーっと読み続けますよ。そうするとぼくの場合、五日目ぐらいにパチーンとチャンネルが、文章を書くという脳の動く部分でしょうね。

自分というものを文章の中に表現する世界に来たときに、五日目ぐらいからグワーッと書き始めて、三週間ノンストップでグワーッと書き続けるんですよ。とっかかりの仕方っていうのは、皆それぞれ書く人によって違うんですけれど、始まりが書けないということが、皆さん共通しております。

ぼくの場合は五日。そのすごいライターさんはゴルフ、パチンコ、少しずつ事務所に近づいていってやると。ねばならないと思えば思うほど、逃避したくなる。これ以上やりようがないというところまでいくと、「こんなバカなことやってられるか」と思うんですって。それから書き始める。

寂聴さんは、そういうことで四〇冊くらいもって、奔流のごとく、怒濤のごとく書きたいという、でてきて書けるというんですけど。あるときタクシーに乗った運転手さんが、元出版社におった人で、瀬戸内寂聴さんの担当だったらしいんですね。その人がいっていたのは、また聞きなんですけど、出版社さんがこの時にあげるという日に行って、

「何々出版のものですが、原稿をとりに来ました」
「あ、そう。何々出版さん、来られたのね」

そういって、それから書き始めるんですって(笑)。
だから、なかなか、なかなかそうやっていても、とっかかりができないもんで、ずーっと待たされて、「書かなきゃいかん」という締め切り効果ですね。それで、ずっと出版社が待って、そこから書き始める。ゼロから。だから、ずーっと待たして「お待たせしますわね」というところから書き始めて、何日も何日も、また来ますって、また書いていく。

ま、そういう風なものなので、皆さん、小説ってそういうものですね。で、特に気になる小説っていうよりも、私が俳句を十八歳くらいからやり、短歌もね、やり。そして評論文、エッセーなんかも書きますけど、小説というもの書くのに壁があったんですね。

そして、小説の書き方、ずっと本読みました。みんな書いてあるんだけども、始めの一歩の小説というね。一人称とか三人称の書き方あるんですけど、どうしても小説を書くという壁を越えられなかった。

それで、ずーっと小説の書き方って読んできて、この本に出会って、書けるようになったって本があるんですね。それが、岩波文庫か岩波新書だったか、高橋源一郎さん。たしか灘高を出て、どっかの大学行って・・・。高橋源一郎の書いた「一億人の小説教室」だったかな(※後半に訂正がありますが、本のタイトルは「一億三千万人のための小説教室」)。

それを読んでですね、なるほど小説っていうものは、そういうものなのか。というのは頭に浮かんでくるもの、なんでもいいから活字に書いていく。ウンコの話しだったら、とにかく、ウンコウンコウンコ・・・。それで絶対止めちゃいけないと。だから私の最初の小説というのは、おしっことウンコ。

ウンコというのは、ハニヤスヒコ、ハニヤスヒメ、神道では神様なんですね。えー、おしっことウンコのラブロマンスというのをつくったのが、私の最初の。

高橋源一郎さんのいったとおりに書いて、それからですよ。で、どんなものでも、こう書かなきゃいかん、ああ書かなきゃいかん、って拒否しちゃいかん。

結婚式で、ウンコを食べるというセレモニーをした、ほんとにウンコを食べ合ったというエグい話がずっと書いてあって。これも小説だから、きれいとか汚いとか、こうあらねばならないとか書いちゃいけない。

で、小説とはどんなものかというと、フィッツジェラルドといったのかな。7階の窓から下を開けると、小説っていうのが道路の上にいるんだ。それがフワーッと7階のところに飛んでくる。それで、ピアノの下とか机の下に小説ちゃんがいて「小説ちゃん」といって机の下に入っていって、「あ、こんなところに小説ちゃんいたの」っていうかたちで、そこから突然ひらめいてきて書くものなんだ。

で、また小説というのは、おびえた犬みたいなもんで、こういうの書こうって、意気込んでやったらおびえた犬がパッと逃げていくみたいに小説ちゃんは逃げていくんだ。だから、丁寧に丁寧に、小説ちゃんというかたちで、おびえたわんちゃんを触るみたいにして、浮かんでくるまにまに、ずーっと書いていくと小説のひらめきというのはキャッチできるんだ。

そうやって小説のひらめきっていうのは、そういう繊細なもんなんだよ。そういうものを大事にしなきゃいかんのだよ。

「なるほどね」ということを阿刀田さんに。私、日本ペンクラブの会員なもんで、そのときに。今は浅田次郎さんが会長ですけど、以前は阿刀田さんが会長で、短編小説の名手で、阿刀田さんに、テレビのゲストで来たときに話をしたんですよ。高橋源一郎さんのこれ読んで、僕も小説書けるようになったんですよ。

「そうですか、小説家はウソつきですからね。みごとなすごいウソつきますね。もうウソばっかりですよね」って、阿刀田さんの話を聞いておかしくって。

まあ、阿刀田さんのはナポレオンの話。ナポレオンが好きな人がおって、ナポレオンの顔に似た人がいつのまにいなくなって、行方不明になったんで、剥製が置いてあるんで、剥製の作り方という本が置いてあったので、その男を殺して、ナポレオンの剥製にしたんじゃないかと思わせるように、全部書かないんだけど、ゾッとくるような、これでたしか直木賞もらったんですね。

短編からはじめて書いていくというのは、阿刀田さんでもいいし、ぜひSF作家を目指すんでしたら、高橋源一郎さんの「一億人の小説教室」。これを読んで小説が書けるようになった人もたくさんいるらしい。私もそうだったんです。これはお勧めなんで。

小説というものの、はじめて小説書くときの壁というのは、なかなか林真理子さんでも誰でも、評論は書けてもエッセイは書けても、小説は書けない。この壁っていうのがあるんで、その壁をぜひ越えて小説を書く楽しさおもしろさ、苦しさもあるけども、醍醐味をですね、経験していただきたいな。

必ずしも小説の書き方って書いてあるとおりに、プロットを考えてやるというかたちって、なれてきたものなんでね。ひらめき型の村松友視派。私は村松友視派です。あと、プロットを考えてやるというふうなのが二種類あるんで、必ずしも小説の書き方に書いてある本のオーソドックスなのが書き方のすべてではありませんから、いろんなパターンを勉強して、自分に合ったパターンを選んだらいいんじゃないかと思います。




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