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2015年8月 5日 (水)

「第3回 東京国際コンサート」に出演したホセ・カレーラスさんの視聴回数最大動画は、1992年のバルセロナオリンピックのテーマソング

「第3回 東京国際コンサート」に出演したホセ・カレーラスさんのYouTubeでの視聴回数は、Amigos para Siempre が最大でした。1992年のバルセロナオリンピックで、サラ・ブライトマンさんと同オリンピックのテーマソングAmigos para Siempre をデュエットしたので、この動画は人気があるようです。

…Amigos para Siempre
•視聴回数 5,364,025 回 (2015/08/05)
…Amigos para Siempre by Sarah Brightman & José Carreras.

1987年、キャリアの頂点にあったカレーラスは白血病の診断を受け、回復の可能性は10%であると宣言されたが、故郷バルセロナの病院で化学療法を受けた後、アメリカ・シアトルの病院に入院。近親者に適合する骨髄提供者がいなかったため、カレーラス自身の骨髄の自己移植が行われ、奇跡的に生還。歌手のキャリアに復活することができた。

1988年、カレーラスは白血病の研究と骨髄提供者の登録の支援事業に財政的支援を行う慈善活動のため「ホセ・カレーラス国際白血病財団」を設立した。

1990年、世界中の何百万人もの人々は三大テノールがFIFAワールドカップイタリア大会の開会式で演奏するのを観た。これはもともとカレーラスの財団の寄金のために構想され、ドミンゴとパヴァロッティが仲間の復帰を歓迎するためでもあった。

1992年のバルセロナオリンピックでは音楽監督を務め、イギリスの歌手サラ・ブライトマンとのデュエットで同オリンピックのテーマソング「AMIGOS PARA SIEMPRE」を閉会式で見事に歌い上げ、観衆からの拍手の嵐に包まれた。カレーラスにとって故郷のバルセロナで行われたオリンピックにかかわれたことは、まさに白血病克服の「快気祝い」となった。ちなみに、バルセロナオリンピックでは「Josep Carreras」と表記されたが、これはバルセロナを含むカタルーニャ地方で話されるカタルーニャ語での表記で、彼の本名である。また、バルセロナオリンピックの開会式でオペラ歌手のモンセラート・カバリェとデュエットする予定だったクイーンのボーカルフレディ・マーキュリーの急死により彼の代役を務めた。

カレーラスはオペラの舞台に加え、サルスエラのような親しみやすいジャンルの公演にも出演し、『ウェスト・サイド物語』の録音にも参加したことがある。また、坂本龍一の「オペラ」にも出演した。


「ホセ・カレーラス」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2015年3月13日 16:12 (UTC)、URL: http://ja.wikipedia.org

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